- Shyuichi Nakamura

- Oct 28, 2023
何をしていても痛むというのは、肉体だけでなく心に傷をつけてしまいます。
「もうあんなこと絶対に嫌」
って思うことで、それから逃れようとしてしまいます。
テストドライバーは、高速で運転することを強いられます。
そのドライバーが事故を起こしてしまっても怪我が治ったらすぐに運転しないと二度とドライバーに戻れないという話があるそうです。
トラウマになって、身体に刻み込まれるみたいです。
ただ、面白いのは出産は、あれほど長い時間痛くて、男性なら失神するのでは?
と言われる程の劇痛なのに、なぜか、その痛みを忘れてしまうそうです。
どんな痛みだったのか思い出すことができないというのは面白い現象だと思います。
股関節の痛みも歩くたびに痛みがあるので、痛みを恐がり過ぎて、体重をかけられない。
だから、普通の痛みより治りにくいと言われています。
しかし、体重をかけないことが痛みの原因なのですから、体重をかけなければ痛みがなくなることはありません。
かばえばかばうほど、余計に痛みがでてきて、歩けなくなってしまいます。
逆にこの構造が痛みの本質を物語っているように思います。
痛みを怖がっているのではなく、痛みを伴う動作を怖がっている。
つまり痛みがない状態なのに、痛みが起こるかもしれないという動作を最初から避けて動こうとするから痛みが余計にでてくるということも言えます。
つまり、痛みの予測が過剰になることで、痛みから逃れる動きしかできなくなってしまうということだと思います。
それが元になって、変形が起こり、最終的に治らなくなってしまうのだろうと思います。
だからこそ、その動作をしても痛みがないという事実を積み重ねることなんじゃないかと思います。
痛みが出そうな動きをしようとした時に、痛みが出ない位置まで何度も動かして、痛くないという経験をすべきなのではないかと思います。そう言う経験が痛みを乗り越える方法なのではないかと思います。
怖がらずに積極的に動かそうとしていると痛くない脳が形成され、痛みを早く緩解させられる可能性があるのだと思います。
きっと、ここまでなら痛くないという経験をすることでオキシトシンやエンドルフィンが適量だけ出て痛みを制御できるようになってくるのではないかと思います。
過剰な薬物投与は、適量ではない為に、依存を作ってしまう可能性があるのはその為なのではないかとも考えられます。
面白いなと思うのは、股関節や膝の痛みがある人って、早歩きなんです。
痛みから逃れようとする為に重心が浮き上がって、早歩きをしてしまうのです。
そんなに痛いのなら、ゆっくり歩けば良いのに?
って思うのですが、地面にできるだけつきたくないと思うから早歩きになってしまうのでしょうね。
そういう人が来た時に、怖くないよと説明するのは本当に難しいのです。
股関節を治すのではなく、その人の心に巣くった恐怖を取り除く必要があるからです。
- Shyuichi Nakamura

- Oct 27, 2023
心理的要素や社会的要素は、医療をする上でもっとも無視されやすい要素なのではないかと思います。
ある患者さんで、調子が悪いを連発しているのに、大きな障害はありません。
今で言えば線維筋痛症なんて言葉がありますが、これも心理的、社会的要素が大きく関与している可能性があります。
このような場合、どう調整していけば良いのか?
悩むと思います。
そこで「場」という考え方をすることで、これらの要素と相互作用を知ることができます。
専門的な話になり、ある意味神秘思想的になるので、詳細は避けますが、アンバランスが身体にはなく体外にあるということです。
そういう人の身体の緊張が、肉体では反応しないのに、体外に手をかざしたり(手をかざすことで、それらの信号をブロックする)することで、緊張がなくなったりしまう。
つまり肉体の要素では足りないから、体外に要素をもってきたということです。
それで緊張がなくなり、動きがスムーズになり、症状が一時的に改善することがあります。
社会的要因や心理的要因は、その人の意識の進化に伴って変化するので、あくまでも一時的にしか改善しません。
本人の意識が身体に向かないと安定的に良くならないということが起こってきます。
社会的要因は痛みを起こすことで、本人の社会的立場を守っている場合もあります。
社会的立場を守っているものをなくせば、当然困りますので、痛みがないと困る訳です。
そういう場合は、再度痛みを起こして社会的立場を守ることが最優先になります。
そういう要素も考慮してバランスという言葉を使っていないと、ただ治せば良いという考え方は、あまり適切ではない可能性がある訳です。
痛みというのは、そういう不可思議な側面を持っています。
- Shyuichi Nakamura

- Oct 26, 2023
バランスを理解するために考慮する必要がある要素の例を挙げてみます。
物理的な要素:重力、摩擦、弾性力など
生物学的要素:筋力、神経伝達物質など
心理的な要素:認知、感情など
社会的要素:文化、規範など
これらの要素をすべて考慮することで、より深くバランスを理解することができますが、複数の側面からバランスを捉えてしまうことが殆どなのではないかと思います。
人間の身体を物理的要素だけで判断することは、バランスを捉えたとは言えません。
重力におけるバランスは最も顕著なものですが、それだけでは語れません。
あきらかな体調不良のある人で痛みがあっても、姿勢の画像を見るとまっすぐの人がいます。
また、足裏の足形をとってみても、あきらかではないという人がいます。
あんなに不調なのに見た目の姿勢は大きな崩れはありません。
そういう場合、重力のみによるバランスは意味をなしません。
次に生物学的要素ですが、ここには筋力や神経伝達物質と書かれていますが、平たく言えば動きのバランスと言えるのではないかと思います。
例えば右足をあげた時、左足をあげた時、複雑な動きをしたりすると右と左で動きの違いが見られます。
こういう時は重力における姿勢のバランスと相互関係になることもありますが、中には、姿勢も大きな乱れはないのに関節の動きが悪いという場合もあります。
そういう時は、心理的要素や、社会的要素を考える必要があるということです。



















