今は今しかありません。
今、きめたことは未来にも影響します。
それは確率でもなければ、予測でもありません。
今、決めることというのは、知識も経験も通用しない世界なんだと思います。
何があるかはわからない。
そんな世界から出てくる答えがあるので、その答えを参考にする時、知識や経験が関係します。
「 今」は、コインの両面がゆらいでいる状態
表が出るか裏が出るか誰にもわからない世界です。
不安定で何の根拠もありません。
ただ、あるのだと思います。
この意味がわかるようになってくると滅茶苦茶面白い。
確率は全てではありません。
例えば99%の確率というと、誰もが間違いないと思ってしまうかも分かりませんが、100回に1回はだめだということです。
100回に1回と言うと印象が変わってしまうかも分かりませんよね。
確率というのは印象に近いということです。
例えばコインを上にあげて、表か裏かを当てるゲームをしたとします。
100回あげれば50回は、表になるはずです。
この計算は数学的にも感覚的にも正しいと思います。
しかし、今1回しかあげないという時に、どうでしょうか?
確率は5分5分です。表が出るか、裏が出るかは誰にも分かりません。
これは計算のしようがない。
それでは80%ならどうでしょうか?
印象としては非常に確率が高いように思えますが、それも今やってみないと分からない訳です。
つまり、結果を見るまで誰もわからないということです。
そう考えると、いかに確率が印象かがよく分かると思います。
確率というのはある意味占いのようなものです。当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉があるように、当たっても当たらなくても間違いではありませんよ。
というのが占いです。
つまり、結果を見てみないと誰もわからない。
というのが正解なはずです。
それを完全に信じきってしまっている人の事を馬鹿にしたりしますが、確率を信じきっている人と変わりありません。
構造は全く同じです。
なぜその事に気づかないのか?
科学的科学的と言いますが、科学的になればなるほど、確率という言葉が見えてきます。
つまり、わからないという事を前提にしています。笑える話です。
全体としての傾向として判断する材料にするのは正しいと思いますが、確率が高いものが正解ということはあり得ません。
つまり個人に当てはまるかどうかは話が別です。
一つの確率論で全てを決めてしまうのは危険な行為だということです。あらゆる角度から調べて、総合的に判断するということが大事でしょう。
それでも確率は占いと同じです。
物質主義が過ぎて、物事がエネルギーで作られているということを無視していくと説明できない現象が起こります。
物質だけで、この世が作られていると考えるのなら、疑似薬だとわかっていても作用や副作用が出ることを説明できません。
確率は少なくても、あるものはある訳です。
完全にそれを無視して物理現象だけに注目するのは片寄っています。
しかし、それだけしか注目していないのも、片寄りすぎです。
「縁」は偶然と言う言葉に置き換えて無視してしまいがちです。
物質以外はないとする考え方ではなく、物質以外も存在する世界に目を向けてみると新しい世界が見えてきます。
こういうことを書くと、オカルト的だと思われるかも分かりませんが、オカルトやニセ科学で言っている訳ではありません。
誰もが経験し使っている技術です。職人さんは特にそういう技術をよく使います。
地道に研究している科学者もそういう世界からエネルギーが来ることをよく体験するのではないかと思います。
一つの事に注視して、常にその事に意識を巡らせていると、どこからともなく発想が降りてくる。そんな経験を何度もしているはずです。そこから本当に実利のある大切な技術になったりするわけです。
まさに色即是空、空即是色です。
物質は何もないところから生み出される。何も無いように見えて、実はそこにはたくさんのものがある。そういう世界を体験しているはずです。
それを信じられない人は、自分からは何も生み出さない。
人マネをすることしかできない人です。教えられたことは完璧にできますが、自分からは何も生み出さない。
だから、エビデンスに頼るのだと思います。単なる確率なのに、確率が全てみたいに思ってしまう訳です。