身体を観察していると、詳細な情報をつかもうと意識すると詳細な情報が得られたりします。
ただ、詳細なところばかりを見すぎると、全体が見えなくなってしまいます。
全体と部分への意識を切り替えることで、異常なところから出ている情報の近似値を得ることができるようになります。
あくまでも近似値なので、完全に正しい情報ではありません。
しかし、そもそも西洋医学、東洋医学という区別なく病態というのは、完全な診断はできないと考えた方がいいです。
炎症があれば、抗生物質やステロイド、痛みがあれば痛み止めはある程度の効果はありますが、絶対ではありません。
どこかに何かの違う要因があって、必ず何かの異常が残ったりします。
普段から元気な人は、それで良くなっていくこともありますが、それだけでは良くならない人が多く存在します。
そういう時には、違う要因を見つけ、それを調整することで問題を解決することができます。
他の要因を見つけ、そこに焦点を置くことで変化することがあります。
何をみるのか?
それが大きな問題ですね。
東洋医学をする人の多くはバランスと言うのですが、このバランスとは何かを考えてない人が殆どなのではないかと思います。
目に見えるバランスだけではなく、目に見えないバランスというのがあるはずです。
精神的なバランスなんて目に見えないから、なんとでも言えます。
経絡のバランスも第三者に見せることができないからなんとでも言える訳です。
だいたいは、偉い先生がいて、これでバランスがとれた!!
と言ってバランスがとれたと考えるのが普通です。
バランスがとれれば、症状が改善しているはずですが、症状が改善しないバランスがあることを意識していない。
症状が改善しないバランス?
って思うかもわかりませんが、症状が改善してないけどバランスが整ったということがあります。
症状を目標にしないということが大切なのですが、殆どは症状を目標にしてしまいます。
怪我して処置しても、すぐに元に戻る訳ではありません。
時間が必ず関係する
膝の治療をして動けるようになったら、バレーをして次の日、更に痛みが出た。
これは膝の治療をすることが良かったのか?
その人の考えや性格もバランスに大きく関与してきます。
深い考察が必要なはずなのに、一口にバランスと言っておけば良いという考えのバランスの人がやたら多いように思います。
物事を良い悪いという二面性だけで判断しているととんでもないことになってしまうことがあります。
学校でテストの採点の効率化の為にマークシートになってから長いですが、選択するときにどちらかだけを選ぶ
または、数種類ある中から選ぶという時、どんなことを思い描いているでしょうか?
その中から正解を選ぶだけで良いので、ひっかけ問題とかが多くなります。
試されている訳です。
試験をする側とされる側のだましあい、出題者の意図をくむ能力が試されているようにも思います。
もちろん、最初の意図は、どれぐらいの理解度かを知る為のものなのはわかりますが、間違えなければ本当に理解していると言えるのかどうか?
正解をたまたま選んで理解していると解釈されるとマグレも起こります。
もちろん、それも確率でどれぐらいの頻度かを考慮しているに違いないとは思いますが、その問題を理解しているかどうかの採点にはなりません。
結果主義で、正解ならマグレでも良いという考えになってしまいそうです。
正解は良くて、間違いは悪い。
そんな単純なものなのか?
社会に出てそれが通用するのか?
グレーは沢山あります。
明確に答えが出せない時にどうするのか?
そういうことに対応できなくなってきているのではないかと思います。
良い悪いは別として失敗するというのは、とても重要なことです。
できないというのは、どう考えていけば良いのかということにつながります。
とても良いことになる。