私が30代だった頃、実技を指導している時に、ある先生が、こっちはこうじゃないのか?
この異常な反応はとれてないよと言ってくる先生がいました。
もちろん、単なるクレーマーではありませんよ。
自分の考えを持ってそう言ってくれているんです。
今でも交流のある先生ですが、その頃がとても楽しかった。
自分で理解しているから、そういう反発をしてくれる訳です。
きっと、普通の講師なら、そういうことを言われると怒ってくるでしょうね。
でも私はとても楽しかったし、真剣にこっちも考え、答えを出しました。
真剣に話を聞いてくれて、自分なりのアプローチの仕方を考え、その意図にそぐわないと違うんじゃないかと言ってくるんです。
第一線で仕事をしている人はそういう意見が自然にでてきます。
これが正常な意見なんだと思います。
私はそんな人を増やしたいと今でも思っています。
私の話を聞いて、その人なりのアプローチでああでもないこうでもないと言ってくる人を増やしたいのです。
当時は、夜から朝方までそういう話をみんなでしていました。
本当に楽しい勉強会でした。
勉強会というのはそういう会でないと楽しくない。
セミナーは、一方的に教える会ですが、勉強会は、意見が飛び交うのが勉強会です。
わからないなら、どう何がわからないかを明確にすることが大切です。
ただわからないというのでは単なる言いがかりなので、もっと臨床をやってこいと言います。
絵に書いた餅では話になりませんからね。
その中にいた人が、伊勢の勉強会は本当に滅茶苦茶楽しく、どの勉強会より盛り上がった~と全く無関係な人に言っていて、たまたま、その話を聞いていた人が、私に教えてくれたことがありました。
ああいう熱意のある勉強会はそうそうないです。
教えるも教えられるもない。
同じ土俵にたって議論しているというのをヒシヒシと感じる。
その為には臨床で悩んでいないとそういう話にはならないのです。
教えられるのではなく、自分で考える。
そういう人を増やしたいなと思っています。
その思いは徐々に形になりつつあります。
まぁたいてい、そういう人は変人で人には嫌われやすいです。
私もそうなんだと思います。
そういう意味で楽しいとか面白いというのが一番大切なんです。
楽しむ為には悩まないと駄目なんです。
そうなる為の基礎の話を1年かけてやってきました。
教育はとても大切だと思います。
しかし、学生に教える場合とプロに教える場合では違いがあります。
プロに対しては、丁寧で親切な教えが必ずしも良いとは私は思っていません。
というか、次に考えてもらえるように教えるというのがとても大切だと思っています。
わかった!!
という相手の言葉は、とても解釈が難しい。
なぜなら、わかったというのは今だけの場合が殆どです。
実際にやってみると手が止まってしまう。
頭の中だけでわかったという状態になってしまっているということです。
わかった。という状態から、それをどう活かすのかを考える力をつけているのがプロです。
ある会社勤めの人が部下に物事を教える時、やり方だけを教えても、なぜ、そうなっているのかを理解させないと応用が効かない部下を増やしてしまうだけだということを言っていました。
ホントにその通りだと思います。
親切で丁寧な指導は、指導者側の意図する指導です。
つまり指導者が満足してしまっている指導と言えます。
学生にはそれで良いと思います。
しかし、プロにそれをやってしまうと、必ず落とし穴があります。
自分で考える能力のない人を増やしてしまう可能性があるのです。それでは多くの人に伝わったところで生産性はあがりません。
必ず次は何をすれば良いですか?
ええ~、そんなこと、さっきの話を基礎にしたらわかるやん?
って思うのですが、必ずそう聞きなおしてきます。
薄っぺらいものを教えたくないので、しっかりと自分で悩んで考え、感じてもらいたいと常に思っています。
その為の反発はとても嬉しいのですが、、、。
腕や肩の痛みでズキズキするような痛みは見ていて本当に可愛そうに思います。
当然、肩に刺激してもよくなるはずがありません。
そして、面白いことに、こういう痛みと関係する場所を刺激すると、余計に痛みが酷くなることがあります。
そして、しばらくすると治まっていったりします。
よく瞑眩作用と言いますが、瞑眩作用というより、関連痛という感じです。
関連する場所も一部ではなく、手首であったり指先であったり体幹部であったりするので、あちこちからアプローチしないと楽にならないことが多いのです。
本当に人間の身体って不思議で仕方がない。
そういう場合、背骨を観察していると、胸椎5番あたりを中心に患側の椎骨のキワあたりに圧痛がでます。
つまり左が患側なら胸椎の左回旋が制限されていることを意味しています。
だから肋骨も腫れているので、肋骨を元に戻してやると、椎骨の反応はなくなります。
しかし、この手技をやると、余計に痛みが一瞬増したりすることがあります。
そして、しばらくすると治まっていきます。
これは、あちこちから影響を受けているという状態なので、一箇所の刺激では良い方向に導けないことを意味しています。
肩の痛みは主役と脇役が複数いるドラマのような感じです。
視点をAの側から見た問題と、Bの側から見た問題、Cから見た問題はそれぞれ違うので、それらをまとめるのに苦労します。
時間は一定方向に流れているので、その順番を間違えても効果はありません。
肩は足からもくるし、患側だけでなく、健側からもきます。
本当に様々な問題が複雑に絡み合っているので、いわゆる五十肩という名前は、五十カ所の異常と言われるとおり、一筋縄ではいきません。