まず、五本の指先を全て触れて異常が母指だとわかります。
母指の先端から手首までの異常経路を探っています。
いわゆる経絡の触診と言えなくもないですが、これが経絡かどうかを証明することはできません。経絡は目に見えないですから、証明はできません。
しかし、無いとも証明はできません。
ただ、それに伴って、手首の動き、CM関節の動き、橈尺関節の動きが一定の方向に異常だとわかります。
触診するにはスピードが大事です。
もたもたしていたら絶対にできません。
肺経を触診しているとも言えるのですが、通常の肺経は、母指の外側を通りますが、この方は内側を通っています。
かなり、変位しています。
つまり、正常な位置は外側なので、異常だとわかります。経絡も正業と異常がありますから、変位していても、不思議ではありません。
そして、CM関節の外転伸展、腕関節の外転伸展、橈尺関節も外旋方向に異常があるということがこれだけの時間でわかります。
東洋医学だと言い、脉診が大事、経絡が大事、穴が大事と言うのなら、普通にこれができないと話になりません。
再現性が大事とか客観性が大事と言いますが、痛いというのは主観です。
客観ではありません。
器質的な異常がなにもなくても痛みは起こります。
それでは、その痛みは嘘なのか?
と言えば嘘とは言いづらい。
主観で痛いと訴えている訳ですからね。
それでは痛みとは何?
と考えなければなりません。
確かに、痛みは病気のサインのことがあります。それを見分けるのはどうすれば良いか?
色々と悩むところです。
圧痛の変化や可動域の変化というのも全て主観です。しかし、主観であっても再現性がないとはいえません。
何らかの刺激を行うと身体は変化します。
触れていない状態でも変化することから、物理的な刺激だけが効果があるとは言い難い。
それがよくわかる動画です。
思い込みだとするなら、思い込みを再現できなければなりません。
思い込みだと切り捨てるのは簡単なことですが、それを決めつける人は、再現してからでないと科学的とは言えません。
思い込ませれば、本当にできるのかを再現できなければ、思い込みだと批判することはできないと言うことです。
大阪支部政木です。
病気の正体は「自分の感覚と体の状態との不一致」
治るとは自分を「理解」することでした。
では体を「理解」するには。
理解するには自分を感じる。
今自分がどういう状態か。
自分で感じて把握することが鍵です。
まず患者さんは、体の迷子の状態でやってきます。
「なんでこんなになったんやろ」
「なんで痛いの?」
「これもう手遅れ?」
などなど。
現在位置を見失っているカーナビ状態です。
「楽になりたい」
という行き先は決まっているのですが、
今自分がどこにいるのかがわからない。
こんなときに、闇雲に運動してもまず効果はありません。
適当にサプリメントを飲んでもほぼ当たりません。
闇雲に何かをする前に、今どういう状態かを知る。
そうすれば、どこに向かえば良いかは嫌でもわかります。
難しいのは、私達の「感覚」は常に体の外に向いていませんか?
見る、聞く、嗅ぐ、味わう、暑い、寒い。
対して、姿勢、冷え、呼吸、思い、考え。
といった「自分の状態」は、感じにくくなっています。
そこで自分を感じようとする「意識」が必要になります。
しかし闇雲では、ただ「苦しい」「痛い」という感覚があるだけで、
治癒に必要な情報は、まず上がってきません。
さらに専門的に見ると、痛む場所と、原因はズレていることがほとんどです。
では、なにを感じればいいか。
それには指標となる「お作法」が必要です。
私達の治療を受けると、動作や痛みの確認をされませんか?
「ここ反対と比べて動かないのわかる?」
「ここ痛いやろけど、ここ押さえると痛くない?」
それが自己理解の指標となります。
自分を理解する道への入り口です。
続きます。
