

Shyuichi Nakamura
- Oct 31, 2021
身体は柔らかい方が良いのか?
静止しかしていない車にデフの機能は必要ないと書きました。 しかし、人間はずっと止まっていることはありません。 絶えず動いている訳です。 その理由から身体が柔らかい方が有利なのは間違いありません。昨日の投稿を誤解してもらうと困まるので一応書いておきます。決して身体がガチガチの方が良いと言っている訳ではありません。動かなければ廃用性萎縮で全身が固まります。そんな状態が良いと言っている訳ではありません。その真逆のことを言っています。 子供は身体が柔らかいから出来る運動が多いと考えるのが普通です。しかし、高齢者が日常生活で、子供のような運動が必要だとは思いません。年齢が高くなってから必要のない身体の柔らかさは維持することが難しいと言っているのです。安易なストレッチとか前屈や開脚ができれば良いと考えて行うようなストレッチは逆に身体を痛めてしまうと言うことになります。 サーキットを走るような運動能力の高い車を一般車道で使い続けようと思ったら、整備はかなり大変だと思います。一般車は一般道に適したように作られているから壊れにくいのです。だから運動性能が良いという


Shyuichi Nakamura
- Oct 30, 2021
身体が柔らかいこと=正義?
身体が柔らかいことを目標にする人がいますが、それは本当に良いことでしょうか? 運動と静止のことをしっかり考えないと危険です。 ええ? って思う人もいると思いますが事実です。 自分の静止状態を知ることは、キチンと静止していられるかどうかを認識できているかどうかです。解剖学的肢位を目標にするのではありません。解剖学的肢位をとるとどう感じるかを認識する為だけです。 関節は柔らかすぎず硬すぎずが重要です。 実は関節が柔らかい人は、静止時に車のデフ機能が働いている状態と同じで、静止を維持する為に筋力を使います。 柔らかいと力を吸収するには有利です。つまり運動するには都合が良い場合があります。車のデフもコーナーを曲がるときだけ必要なだけで静止時には必要のない機能と言える訳です。つまり静止と運動を両立できなければ必要のない機能です。 静止しかしていない車や真っ直ぐしか動かない車にデフ機能は必要ありません。 関節が柔らかすぎるとキチンと静止することができず、静止しているだけで疲れたりします。静止を維持する為には余計な筋肉を使わなければなりません。開脚ができるよう


Shyuichi Nakamura
- Oct 29, 2021
解剖学的肢位の意識
車にはデファレンシャルギアという機能がついています。 左に曲がろうとした時、右側(外側)のタイヤの回転数は左側(内側)より多くなります。 そうしないとスムーズにコーナーを曲がれません。それを吸収する機能がデフと呼ばれるデファレンシャルギアの機能です。 この機能はコーナーを回る時に起こる内外輪の差を吸収する機能ですが、人間も運動する時に同じような働きをしていなければなりません。つまり遊びがあるということです。人間の身体も膝にロックがかかったり足首を固定されると、膝が伸びきって上手く運動されない状況になるのと同じです。 運動は遊びが大事です。 その役割を果たすのが距骨と呼ばれている足首にある骨とその周囲の関節なのではないかと思います。しかし、デフの働きは、コーナー時に発揮される機能であって、静止した状態の時に、この機能は必要がありません。つまり静止した時には、この機能は働かないことが前提です。 遊びは負荷がかかった時にしっかり働いて、負荷のかかっていない時は働きません。 解剖学的肢位は、遊びを無視しキチンと基準にあって静止できるかどうかを検査するのに


Shyuichi Nakamura
- Oct 28, 2021
解剖学的肢位
医学を学ぶと解剖学的肢位というのを習います。 基準となる位置のことなのですが、滅茶苦茶基本中の基本です。 基礎的過ぎて、ああ~そういうもんか~というぐらいにしか思いません。 しかし、この解剖学的肢位を実際にやってみると案外うまくできないことに気づきます。 足の位置は、手の位置はキチンととれているのか? とれていない人が殆どです。 足を開いてしまう人、右と左で前後が違う人 様々な位置をとってしまいます。 この解剖学的肢位は車で言えばホイールのアライメントがとれているかどうかと同じです。 前から見た状態(キャンバー角) 横から見た状態(キャスター角) 上から見た状態(トー角) というそうです。 自分の身体もアライメントがとれているかどうか知っている必要があるということです。それが意外に難しい状態ということは性能の低下があるということを意味します。 人間も物理法則に則っている以上、この法則からは逃れられません。


Shyuichi Nakamura
- Oct 27, 2021
朝散歩をしていると・・・
朝、犬の散歩をさせていると、一生懸命、手を振って黙々と散歩している人を時々見かけます。しかし、その人が毎日、何年も歩いている人をあまり見たことがありません。せいぜい1~2年顏を見る程度です。ずっと同じ道を散歩してきたので、散歩している顏は自然に覚えますし、挨拶もするのでよくわかります。 何気ないことなのですが、これって面白いことだなと思っています。一人だけ時々ブラブラ散歩している人は知っています。よく挨拶するのですが、全然無理をしていない感じです。 途中でコースを変えたか、散歩を止めたかのどちらかだと思います。 意外に散歩は負荷の大きい運動です。心拍も結構あがりますので、軽い運動だとは言い切れません。 健康になるために毎日続けるぞ~と頑張っていても、結局は、それだけの目的では長期間散歩を続けることは不可能だと言うことなんじゃないかと思います。 私は、幼稚園、小学校、中学校と学区内の一番外側で遠い距離を歩いて毎日学校に通いました。中学校は長い坂道もあったので子供にしてはかなり長い距離を長期間歩いたと思います。 その時の目的は、早く家に着かないかな~


Shyuichi Nakamura
- Oct 26, 2021
歩行は意識的でなく目的があります
意識的に歩いているのではありません。 なぜ歩くかと言えば目的地に到達する為です。他のことを考えていても思いは家に着きたいというような希望があるから無意識に左右の足を使って移動しているのです。 そんな思いを叶えてくれるのが歩行であって、それを可能にしているのが無意識です。 たぶん、それには誰も疑問に思わないと思いますが、無意識を使って歩いていると認識している人は少ないでしょう。 人間は、意識的に行動していると考えているかもわかりませんが殆どは無意識です。 右に向かって歩いていて、急に左に曲がろうと思った時、そのタイミングはいつでも良いという条件で実験すると曲がるコンマ何秒か前には、脳は活動して左に曲がることを決めているそうです。 それじゃ~意識的に行動しているというのは嘘じゃないか・・・。 と思う訳です。 それでは無意識だけが重要かと言えば無意識だけが重要だったら、きっとずっと寝ていることになるでしょう。 植物人間です。 意識は無意識に補完する形で存在し、意識を使ったことと無意識が命令したことは、ほぼ同時だと言えるかもわかりません。 そもそも意識と


Shyuichi Nakamura
- Oct 25, 2021
認知症になると歩行が変化する
認知症になると歩行の仕方が変化してくるように思います。 神経がどうとか言う理屈を述べることはできるかもわかりませんが、絶対に脳だけの問題じゃないと思います。 そして歩行が弱るのは意識や認知だけでなく無意識が弱ってきた証拠なのではないかとも思います。 歩行に変化が出てくるということは確実に無意識にも変化が起こっているのだと思います。 意識と無意識が交互に連絡しあっているということが大事なんだと思います。 五体満足だと思っていても自分の身体をキチンと動かせていますか? この問いは常に持っていた方が良いと思います。 自分は、手足も自由に動くしタイプも習字も上手い!! 読書もしていて頭も使っている。 と豪語する人はいるかもわかりませんが、それでは足の指はどうでしょうか? 足首の内反外反運動は正確にできますか? できないのが普通です。 つまり、意識と無意識が連携しておらず使えてないところが出てきているのです。特に足は心臓から一番遠いところにあるので意識をしてもなかなかうまく動かせません。 使わないところは廃用性萎縮と言って退化してくるので、足を使っていない


Shyuichi Nakamura
- Oct 24, 2021
歩くことは難しいのか?
歩くということは、とても難しいと昨日書きましたが、五体満足な人なら普通に歩いています。 しかも、歩いていることすら考えたことがないように歩いています。完全な無意識ですが、意識的に歩くこともできます。 これが面白いところです。 それだけでなく石ころに躓いても簡単には転倒しません。 それは誰がやっているのでしょうか? 自分ですか? 本当ですか? 少なくとも意識的な自分じゃないはずです。 今、石ころに躓いたので、右足を出して転倒を防いだと明確に意識していますか? それを意識できる人はいません。ワザと石ころに躓いたのならそれもできるかもわかりませんが、突然躓いたら完全に無意識にしか転倒を防げない。 誰がこれをやっているのか? という疑問を持って欲しいと思います。 無意識が弱ってきた高齢者は、そのまま転倒してしまったりします。つまり、転倒しやすくなるというのは、無意識が弱ってきたということだと思います。それでは無意識を鍛える事で回避出来るかもしれません。 無意識を鍛えると言っても、無意識は意識下にないので鍛えようがありません。しかし、無意識は単独ではなく意


Shyuichi Nakamura
- Oct 23, 2021
膝抜き2
膝を抜いて前に倒れるという方法は、確かに身体を素早く動かすには効果的です。ただ、微妙な調整ができないと実際に使うのが難しい動きとも言えます。 スポーツで膝抜きを使う場合、こっちの方向に向かうとわかっていて膝抜きをするなら効果的かもわかりませんが、格闘技のように、今、膝抜きの必要性があるかないかの判断をしながらの膝抜きはかなり難しいと思います。 日々、そういう訓練をしていて、身についていないと、頭で考えていては遅すぎ使い物になりません。また膝抜きを行う場合、スピードの調整が難しいと書きましたが、倒れた身体であっても常に元に戻せる状態になっていないと逆に不自然な動きになってしまいます。だから膝抜きは効果的ではありますが、膝抜きと同時に、それをコントロールすることも必要不可欠だと考えた方が実践的だと言えます。 通常の歩行でも膝抜きのような特殊な歩行でも、物理的には必ずどこかで捻れを吸収しなければならないということです。 物理的に捻らないで前に出ることは構造上不可能です。 早く動くとそれに気づけませんが、できるだけゆっくり体重移動をしないで足を前に出して


Shyuichi Nakamura
- Oct 22, 2021
膝を抜いてみる
この前からの投稿を見て頂くとよくわかると思いますが、その場で止まっているだけで運動になるということがわかってもらえたと思います。 しかも、かなり強い運動になりますが、殆ど動く必要のない運動です。この運動が全ての運動の元になっていると言えるぐらい基本的な運動です。動く為には体重を移動させなければ動けないことがよくわかります。 ただ、歩行には、膝抜きという方法があって、片足のつっかえを急激になくす方法があります。左右の足で立っている訳ですから右足の支えが急になくなったら右前に倒れてしまいます。 膝抜きをしても真っ直ぐ歩く為には微妙な左足重心になる瞬間があるはずです。厳密には、膝抜きをしても、真っ直ぐ前に進む為には、どこかで捻れを吸収しなくてはならないと言うことになります。 右足の膝を抜く場合、左膝を僅かに曲げておくと安定しやすくなります。右肩甲骨を僅かにあげておくと更に安定しやすくなります。