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複雑系という言葉は、1970年代に、アメリカの科学者ジョン・ホイーラーによって提唱されました。ホイーラーは、宇宙や生命、社会など、さまざまな現象は、単純な要素の集合として説明することはできないと主張し、これらの現象を「複雑系」と呼びました。


なんのこっちゃ?

と思うかも知れませんが、複雑系の例としては、以下のようなものが挙げられます。

  • 自然現象:気象現象、生態系、自然災害など

  • 生命現象:脳、神経系、免疫系など

  • 社会現象:経済、社会、政治など

人間の身体も基本的に複雑系です。

各要素は、単純に見えていても、それぞれが相互作用をしているので一見するだけではわからない何かがあります。

これが目には見えない世界なのではないかと思います。


人間の身体は、約60兆個の細胞から構成されていて、それぞれの細胞は、遺伝子、タンパク質、酵素などのさまざまな要素からできています。これらの要素は、相互に関連し合って、人間の生命を支えているのです。


よく東洋医学を行う人がバランスをとるということを言いますが、なにをもってバランスと言うのか?

それは本当に疑問です。

内臓のバランス?

内臓のバランスが整って筋肉のバランスが整わないということは考えられません。

逆に筋肉のバランスが整って、内臓のバランスが整わないことも考えにくい。

しかし、筋肉のバランスがとれたからと言って内臓が完全にとれるとも言えない。


それぞれの要素はつながっています。

天気予報もよく外れますが、これも天気予報も複雑系です。

降水確率は、現在の天気図を見て、過去のデータから雨の降る確率を決めるので外れる訳です。

だから根拠はあると言えばありますが、現実的には外れてしまうということが起こる訳です。

もちろん、当たることもありますが絶対ではないということです。


人間の身体も完全にこれと一緒です。



わからないのではなく、わからないという答えがわかったということです。


わからないはネガティブだと一般的には考えます。しかし、わからないことがわかったというのはポジティブです。

つまり裏を返せば善です。

わからない時、何がわからないのかを分析する楽しみが増えたと考えればネガティブではありません。

そもそも、ネガティブは駄目でポジティブが良いと思い込んでいること自体が勝者が正しいと言うスポーツの考えであり、学校教育の賜です。完全に支配されていると私は考えます。

わかろうとするのではなく、わからないということに意識を向け集中する。


すると、わからなかったことから様々なことがわかってくる。

私は、そういう思考で物事をわかろうとしてきました。

だから決定的に人と違うのかもわかりません。


わからないことは置いておいて、何がわかり何がわからないのかを分析し、一つ一つをつぶしていくという方法です。

わからないことはわかろうとするから苦しいのであって、わからないことを認めれば、今わかることから様々なことを推察すすることができます。

そして、わからないという意味が全く違ってきます。つまりわからないことがわかったと気づくのです。

これに気づかないと難しく複雑なものは絶対に習得できません。


人間の身体は、複雑系です。

ある意味法則があるようでない。

ないようであるのです。

そういう人間の身体を相手にする職業なので、これが正しいはありません。

同じ症状でも同じではない。似ているけど全く違う。

これを認識していることが、わからないことを自覚する第一歩です。


複雑系をわかったなんて言うのは、本質を見誤っています。

そして、どんな人も人間は死にます。

つまり最後は敗者なのです。

それが医療の本質です。


わかったということが良いと思うことは、わかったことによる弊害のことを知らない。

わからないことによる輝きを知らない。


なぜできないのかではなく、何が今、必要なのかがわかれば自然にできるようになる。

しかし、それを受け入れるかどうかは、その人の器量です。

受け入れられない人は一生わからない。

わからないという意味の深さを知っていないといつまでたってもわかったようなふりをするだけになってしまう。


わからないことを追求する。

それしかない。

わかったことは放っておいたらいい。

そんなことに興味はない。


わからないことに集中する。

するとわかったと思っていたことが実はわからなかったことなのだと実感する。

それが楽しい。


そして、それを自分の力で見つける。

人に教えられたものは、一生借り物

だからわからないことは、楽しみだと気づくのです。


自分で考え抜いて同じ結論に達したら同じことをわかっても全く違うものになる。

それが楽しいし、面白い。

バカバカしいと思えることも疑ってやってみると本当にバカバカしいことだったんだとわかる。

これって最高なんじゃないかと思う。


でもそれをやったやつとやってないやつでは大きな違いがある。


誰もやったことがないから、それを経験することで人生は豊かになる。

人生を豊かにすることと正しいことは比例しない。

勝者は正しいというスポーツ脳は、最後に敗者になるということを先送りしている。


何かができたから豊かになる訳ではない。

人生を豊かにすることは勝利に酔いしれることではない。

敗者にしかない気づきと喜びがあるとわかれば、どっちでも滅茶苦茶楽しいのです。


できてもできなくても遊びは楽しい。

そんな中に本質があるのです。





ものの見方の視点を変えるというのはとても大切なことです。

一つの見方でしかものをみていないと見えないものが沢山あります。



可視光でみた場合は暗くても赤外線でみた場合はとても明るい星だとわかります。

人間の身体も全く同じことが言えます。


視点を変えると今まで見えなかったものが見えてくる。

驚く程、明確になることもある。

視点を変えられないと、いつまでも暗いまま


目に見えるものだけが正しいと思っていたら大きな間違い。

目に見えないものの波長でみることで今まで見えなかったものが見えてくる。


同じ腰痛でも水の流れが異常になった腰の痛みと血の流れが異常になった腰の痛みは違いがあります。

腰から右周りのエネルギーが出ているものもあれば、左周りのエネルギーがでているものもあります。

まっすぐの角度から問題を起こしているものもあれば、右からの角度だけで起こしている痛みもあります。


それは、術者がそういう目でみようとしないと見えてこないものです。

術者の見ようとする意識もエネルギーそのものなので、そのエネルギーの共鳴します。

つまり波長が合うことで、今まで見えなかったものを見つけることができます。


だから術者は常に波長を変えられる能力をもっている必要があります。

しかし、それは特別な能力ではありません。

思いを変えるだけです。


そうすると見えないものが見えてくる。

ただそれだけ



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