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無意識は様々な情報を捉えています。

普段意識しない情報も常に捉えています。

休みなくあらゆる情報を捉えています。


目の前に画面があると無意識は画面があるということをずっと感じています。

しかし、意識は、他のことに注意を向けると、そんなことはおかまいなしにすることができます。

つまり他の情報をシャットダウンすることができるということです。


自分の座っている位置より画面が左側にあって仕事をしつづけていると、目も首も左を向くようになります。

当然ですが、片寄った使い方をしているということになります。


それを最初は意識していても、続けて仕事をしていると、意識は仕事に集中するので、左を向いているということそのものを忘れます。そして左を向いていることが正面だと記憶してしまうのです。


そうなると自分にとってのまっすぐは左を向いていることであり、本当の正面はまっすぐではなくなります。

だから、身体を歪めて生活するのが当たり前になってしまうのです。

それならばまっすぐはどこなのかを探ってみることが大事です。


取り合えす見た目にまっすぐしてみると何か違和感を感じます。

よく言われるのが、「これがまっすぐですか? かなり曲がっているように感じます」

といわれます。


それだけ意識は事実とは異なっている感覚をもってしまっているということです。

そしてそれを記憶してしまっています。

まっすぐでないものをまっすぐだと思い込む力が意識にはあります。

それによって筋肉や関節、靱帯は悪影響を受けてしまうのは当然だと思います。


緊張しなさいと命令されているから筋肉や関節は緊張しているだけであって、筋肉や関節そのものは悪くありません。

だから筋肉や関節をいくら刺激してもよくはなりません。

そんな筋肉にグイグイとした力を与えれば、筋肉も破壊します。

筋肉は濡れ衣を被せられたとして、怒ってきます。


症状のあるところをいくら刺激しても良くならないということです。


つまり、過剰な意識の結果として筋肉の緊張がある訳です。

その筋肉を押さえると、気持ちがいいという感覚になるのです。

だからそれは慰安という要素が強くなるだけで本質を変化させている訳ではないということです。








昨日の話の更に続きですが、意識が勝ちすぎていて強く押さえないと効果がない。

と思っている人は、意識を満足させたい人です。

一般的には、それを慰安と言います。

意識を満足させるのと治療効果をあげるのは大きな違いがあります。


私達は意識的に行動していると思っているかもわかりませんが意識的に行動できることはとても少ないのです。

歩いている時に右足を出してから左足を出すと思って歩いている人はいません。

これらは無意識が足を出してくれています。

そもそも呼吸も無意識です。

もちろん、意識すれば呼吸を深くも浅くもすることができます。

意識は、無意識のどの部分にもフォーカスできます。


無意識は膨大な情報を与えています。

そしてそれらを常に感じ取っています。

意識には全く気づくことがない情報量です。


意識は自分が思ったものしか見ようとしません。

ギターを引く人は、同じ曲を聞いてもギターの音がよく聞こえます。

ドラムを叩く人は、ドラムの音がよく聞こえます。


意識の作用は、無意識が感じている全ての情報のまとめ役です。

もし、全ての情報を捉えてしまったら混乱するしかありません。

だから目に見える形になって意識が存在しているのです。


いわば氷山の一角を意識は担っていますが、意識が強くなると、意識が全てだと思い込んでしまう作用があります。

今、自分が感じたいものを感じているだけなのに、それが全てだと思い込みたいのです。

意識は常に都合の良いように嘘をつきます。


交通事故にあうと、白黒に見えるというのをご存知でしょうか?

緊急事態になると身体の動きに注意がいき、視覚の情報を一瞬で最低限の解像度に途切れさせる機能があります。

私も実際に体験したことがあります。


意識は、本質を見ているようで全く見ていないということです。

学校で習う知識も全ての世界の一部分でしかありません。

それが全てだと思い込むことは簡単ですが、現実はそうではありません。


意識だけを満足させようとする行為は、意識が今感じたい感覚(気持ちいい)が絶対だと思い込んでしまった状態です。

慰安の治療は、気持ちいいわ~とかグイグイくる刺激だ~とか、鍼の得気がきた~と言われることを喜びます。

意識の感覚にしかフォーカスしていません。

何の刺激がなくても無意識の問題が解決すると勝手に動きが良くなったり筋緊張が緩んだりします。


これは事実なのですが、そういう現象が起こることを意識が知らないので「そんなことは起こるはずがない」という常識で物事を判断してしまいます。


もちろん、慰安が治療効果につながるときもあります。

しかし、それは全てではなく一部です。それを知っていなくてはなりません。


そのことに気づいていて、慰安をするのと、慰安だと知らないで行っているのは大きな違いがあります。

これでは意識を満足させるだけの治療にしかなりません。

意識が満足しない=悪になってしまうのです。



意識と無意識について昨日の文章だけではわかりにくかったと思いますので補足してみます。


意識は様々な情報の一部でしかありません。

視覚、聴覚、触覚、嗅覚等の様々な感覚は、無意識に入ってきます。これは膨大な情報量ですが、意識はそれを選別して、しかも結構歪曲して意識して記憶しています。


数時間前に起こった交通事故のことを思い出そうとしても大まかなことだけで、細部のことを正確に思い出すことはほぼ不可能です。


つまり事実とは違う場合もあるのが意識の不安定さです。

人は見たいものしか見ないので、隣でファンが大きな音をたてて回っていても何かに集中していると、その音は全く気にならなくなります。つまり存在しているのになくなるのです。


そんな強い感覚だけでなく、ごく弱い音がしているだけだと、その音に気づくことはありませんが、無意識はそれらの情報を常に全て得ています。

もちろん、それに注意を向けて意識すると音がするのがわかったります。

どこに意識を向けるかで情報は全く違ってきますし、その感覚によって起こった記憶によって、解釈が全く違ってくる訳です。


グイグイ押した時に気持ち良いという感覚は、感覚の一部でしかありません。

それだけが絶対なんてありえない訳です。

だから、その感覚が起こらないと効果がないと考えるのは、身体には無数の情報が流れているということを知らないのです。


例えば、患者さんが、極微量なちょっとした情報によって症状が起こっている人だと症状を治せないのです。

全く原因が違う訳ですから当たり前です。

そんな人にグイグイ押してみるとわかりますが、とても疲れて調子が悪くなったりします。いわゆる誤治です。


気持ち良い感覚が悪いと言っている訳ではなく、もっともっと沢山の情報があるのだから、それを意識していないと誤治を起こすし、真実は見えてこないですよと言っているのです。


意識はとても強欲で、一つのことにこだわってしまうと、それしか見えない。

そうなってしまうと絶対にその人の身体から情報を探ることはできません。

無意識からくる膨大な量の情報に意識を向けることで、今まで見えなかった世界が広がります。


それを利用して調整する方法が御薗流です。

だから力を使わなくても短時間で身体が激変するのです。


それを知りたいと思う方は勉強会に参加してみると良いと思います。

知らなかった。気づかなかった。気づけなかった世界が広がると思います。




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