

Shyuichi Nakamura
- Nov 10, 2021
御薗さんへいってくるわ~
「御薗さんへいってくるわ~」 と言って出てきたんさ~と言うのを時々聞きます。 一応身体を治すところ(治すというか調整に来てもらうところ)のはずなんですが、○○さんという人がいるみたいに話しをしてくれたりします。 愛称で呼ばれているみたいでとても気に入っています。 結構、言いたい放題言ってくれる人がいて、まるで友人に会いに来てくれるみたいです。 最高に面白かったのは、(以前から来てくれる方)なのですが、私が「今日はどうしましたか?」 と聞くと、普通は、どこどこが痛いとか症状を言うはずですが、 「どこが悪いかあててみない!!」 って言ってくるんです。 あててみないと言われても・・・(笑) 病院でそんなこと言ったら、きっと怒られるでしょうね。 でも半分は本気です。 普通は言えませんよね~。 私が治療に真剣に取り組んでいるのは、このブログを読んでくれている人ならわかってもらえると思うのですが、座っただけで緊張を解きほぐすことが出来なければ出来ないことが一杯あると思っています。 なかなか本音を言えないのが医療機関ですが、椅子に座ったらそういう気持ちになって


Shyuichi Nakamura
- Nov 9, 2021
とは言っても・・・
肩が凝った時に押さえてもらうと気持ちいいと感じたりします。凝ったところに鍼を打ってもらうと気持ち良い響きがある。 それが気持ちいいから鍼に通うという人もいるでしょう。 ただ、私は、そういうやり方をしたことがありません。 というか、やってみるにはやってみました。 学生時代に痛めた腰や背中に鍼を打ったこともあります。 自分で腰や背中に鍼打てる? って思うかもわかりませんが、肩関節が柔らかかったので背中も一人で打てました。 それだけでなく、三稜鍼という先の尖った鍼を刺して、吸い玉という吸引器で皮膚を持ち上げることもやってみました。 いわゆるオ血と呼ばれる血が出てきてゼリー状になったりします。 血ってこんなに固まるんだと思う程、プルンプルンになるんです。 あれは不思議です。 それだけオ血が貯まっているんだと当時は思ってました。 鍼を打っただけでなく、吸い玉をして血が沢山出ると楽になるんです。 身体がスッキリした感じになります。 良い悪いは別としてそれは事実です。 もちろん、学生の時だけで仕事としてやったことはありません。 ちょっとグロテスクな方法だったの


Shyuichi Nakamura
- Nov 8, 2021
脳は手
「ペンフィールドの脳マップ」というのがあって、手は身体全体からすれば割合は小さいですが、脳の支配領域は広範囲だと習います。つまり手を使うと脳の広範囲を刺激し、活性化できるということなのですが、それゆえに余計な力も使ってしまうようです。 手をスムーズに使う為には、手の力は絶対に抜けていなければ過剰になってしまいます。それが過ぎると手の指先が硬くなってきます。鍼灸師なのに手の指が硬くなってしまうと、うまく意思を伝えられなくなってしまいます。 手の力を抜く為には、足腰がしっかりしていないとなりません。どちらが大事という訳ではなく、どちらも大事で常に連動していなくてはならないということです。 鍼灸師は、バランス、バランスとよく言いますが、力の配分を基準に考えると、それによるバランスがあります。バランスというからには何かの基準がなくてはなりません。それを触診すると、どの動きが異常かもよくわかるようになってきます。 バランスなので、硬くなった肩を無闇に揉んだり叩いたりすると余計に反発が強くなり、更に硬くなってくるという現象は、これで説明できます。 これは、脳


Shyuichi Nakamura
- Nov 7, 2021
力を抜くのは相当難しい
力を入れるのは意外にも簡単で力を抜くのは相当難しいと感じます。 特に手の力を入れるのは容易く、手の力を抜くのは難しいです。 昨日書いたように肘関節だけを曲げるのはとても難しく、どうしても手首や指先に力が入ってしまいます。 これは指先の方が意識しやすい為に、いつも手先から力を使っているということを意味しています。 手の使い方が悪いと腰痛になりやすくなります。 だから手の甲に腰腿点という腰を治す穴があると言われている訳です。この穴も使い方があります。ただ打てば効くという訳ではありません。 そして、身体は連動しているということであって、単体では動かないということを意味しています。 しかし、極限まで部分的にしか動かさないように意識すると手先の力は抜けてきます。 力を抜くことができるようになると、力を入れやすくなります。 つまり手の力が入っているということは力が抜けないということです。 手の力だけだと弱く、体の力を使えば強い力を発揮することができます。 この体の使い方を覚えれば、全てのことを有利に進めることができます。 それがなかなか難しい。


Shyuichi Nakamura
- Nov 6, 2021
ゆっくり小さく動かす
ゆっくり小さく動かしてみると面白いことが一杯わかります。 例えば昨日の話の中で肘関節の屈曲は上腕二頭筋が主動作筋だと言うような覚え方は正確ではないと書きました。 その理由ですが、やってみるとわかります。まず、手をダラッとして肘を机の上にのせます。 そこから肘を曲げてみます。 早くやれば、肘関節を曲げているのは上腕二頭筋だとわかります。 上腕二頭筋のあたりに他方の手を置いて筋肉の収縮度合をみればあきらかです。 しかし、ゆっくり小さく動かそうとします。つまり初動だけを感じてみます。 手の指先や手首の動きの方が肘が曲がるより先に力が入るはずです。肘だけを純粋に使うというのは意外に難しいことがよくわかります。やってやれないことはないのですが、かなり注意深く行わなければなりません。 肘だけを使うより手首や手の指先から力を入れた方が入りやすいと感じるはずです。 力が入る時は手先からやった方が見た目に肘を動かしている感じになりやすいのです。 これは何を意味しているのかを考えなければなりません。


Shyuichi Nakamura
- Nov 5, 2021
筋肉
学校で筋肉を学ぶと、何々筋はここにあって、作用は、何々で・・・と習います。 これを疑問に思わない人は多い。 というかそういうものだと思ってしまいます。 疑ったり疑問に思ったりすることがありません。 筋肉の動きをエコーで観察すると、ちょっとした動きで筋繊維が微妙に動いているのを観察できます。 上腕二頭筋の作用は、肘関節の屈曲ですが、見た目には動いていないぐらいの僅かな動きでも部分的に活動しているのがよくわかります。しかも、その筋肉全体が縮むのではなくかなり限定的で段階的です。 ゆっくり小さく動かすというヒントは、このような観察からもきています。 筋肉全体で動くのではなく部分的に動いて、それが方向性を決めているみたいです。 だから肘関節屈曲の作用筋は上腕二頭筋だと記憶するのは間違いです。 身体を意識的に動かすことができてこそ目的を達成することができるはずです。病的になってくるとこれが上手く動かせなくなります。別にパーキンソンのような病気になっていなくても、普通の若い子でスポーツを毎日している学生でもそうなります。 ゆっくり小さく動かすと自分の動きがど


Shyuichi Nakamura
- Nov 4, 2021
できないのではなくやりたくない
できないのではなくやりたくない。 出来るかもと近未来の予測をしていても人それぞれ違います。 何が違うかと言えば興味です。 出来るかもと言えばできるんだと思っても、野球に興味がなかったら、今は野球をしたいとは思いません。 だから、野球はできない。 一生でやれることは決まってます。 だからやりたくないことをやる時間はありません。 だから興味のない野球はやらない。 これは最初に決めている訳です。 だから、未来は決まっています。どれだけ頑張っても私が野球ができるようにはなりません。 つまりできません。 しかし、どうしてもやらなければならない時は、それを好きになるしかありません。 興味を持つ何かを見つけ出すことです。 そうすると自然に好きになってしまいます。 どんなことでも発想を転換し、その奧にあるものを見つめようと思うと全ては同じ原理でできていると感じることができるようになってきます。 何をするかではなく、何を見つけるか? なのかもわかりません。 何をやってもそういう目を持っている人は、その原理にたどりつきます。 原理さえ見出せば、違うものが同じに見えて


Shyuichi Nakamura
- Nov 3, 2021
できることとできないこと
たまに、先生のやっていることは私達には絶対できないと言われます。 それは間違いです。 その人はできないかも知れませんが、それは複数形ではありません。 その人がやろうとしていないだけです。 出来ないというのは過去の話です。 出来るは未来 出来るかもは近未来 出来たは、既に過去になってます。 やってみて出来なかった過去に囚われていると結果は決まっているのでできません。 これはホントに面白い現象だなと思います。 だから、私自身も常に試行錯誤しています。今も新しい事にチャレンジしています。 新しいことは最初できません。出来ないから面白いし、できるまで何度もチャレンジします。 一人一人興味は違いますから、人のことをとやかく言う必要はありません。 余計なお世話です。絶対に出来ないと言っている人も他のことは一杯できています。 だから私とは全く違うし、その出来ないことを補い合うのが人です。対立する必要なんて全くない。 ただ、興味を持ったことを特殊能力だからと言う定義づけで過去の話にしてやらないのはもったいない。 できる人がいるならできるはずです。 興味がないから


Shyuichi Nakamura
- Nov 2, 2021
意識を変える
手をあげるとき手に意識を向けてあげようとしてみてください。 次ぎに高いところのものをとろうとして手をあげてください。 どちらが楽にあげられるでしょうか? この現象を考えると意識の違いによって関節にかかる負荷は大きく違うということがわかります。 意識をどこにもってくるのかによって状態が変化します。 これはやってみればわかる事実です。 物理現象だけなら手を上げるということは同じ現象です。 しかし、意識は違います。 それは感覚だけの問題であって、関節にかかる負担は同じであり、プラシーボだと言えます。 しかし、感覚を頼りに殆どの病気は見つかります。また感覚が主体で人は生きています。 全ての現象をこのように変えれば楽に行動できるのではないかと予測できます。 なぜ、それができないのか? 疑問ですよね。


Shyuichi Nakamura
- Nov 1, 2021
静止と運動
静止がうまくできてこそ運動ができます。 ただ、綺麗に静止していれば良いのかという疑問が起こります。 運動には遊びが必要です。 キチンと静止できていても運動はまた別です。日常生活では静止より運動の方が多いです。椅子に座っている時間の長い人でもタイプしている手は動いています。書き物をしている手は動いています。画面を見れば目を動かしています。 完全に静止している時間は殆どありません。寝ている時ですら寝返りを打っているのですから24時間運動しています。 だから動物なのです。 姿勢が綺麗になりたい。 というのは願望であっても良いのですが、綺麗になる必要はありません。 綺麗になろうと思った瞬間に力が入って綺麗でなくなります。無理して綺麗な姿勢をとっている人は誰が見ても不自然なのがわかります。無理をすると、すぐに疲れてしまいます。それは綺麗な姿勢が逆効果だと言うことです。 人間の身体は、ちょっとした思い方で緊張したり弛緩したりしています。ところがそれに気づかない。 つまり治す必要はなく、それに気づくことが大事なのです。 そこで自分自身がどんな静止位置なのかを知