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頭蓋骨は殆どが海綿骨です。

海綿骨の役割は、軽量化、構造上の強化、衝撃吸収が主なのではないかと言われていますが、それだけではないように思います。大腿骨も関節に近い部分に海綿骨の割合が多いのは、決して偶然ではないと思います。上腕骨も大結節あたりに多い理由も、関節部は、海綿骨の構造が適切だったからだと考えられます。


海綿骨は蜂の巣のような構造をしていて、構造としては、決して強い構造だとは思えません。やはり重力が多くかかる大腿骨のような骨には皮質骨が多く存在し、その方が縦方向の強度は間違いなく強いからそういう構造になっているはずです。ただ、海綿骨のような構造になると他方向からの力を均等に分散させる力もあるので、関節部や頭蓋には適した構造だったから海綿骨が選ばれたとすれば納得がいきます。


また海綿骨には、血や水の流れがあり、一定の流量があることによって、強度を保っていられるのではないかと考えると強度と軽量化、衝撃吸収という意味でも海綿骨のような構造が最適だったのではないかと考えられます。

逆に考えると、何らかの理由で病的になり、血や水の流量が一部で滞ったりすると、海綿骨の役割を果たすことができず、様々な力に負け、組織破壊になってしまう可能性があるとも考えられます。つまり、炎症や腫瘍、外傷による骨折のような異常も起こりやすくなるということです。

しかし、柔軟な構造をしているはずなので、流れが良くなれば、修復が速いというのも海綿骨としての特徴であり構造的利点です。

そして、海綿骨の多い部分に鍼灸のツボが多く存在するというのも決して偶然ではないように思えます。

関節部には、流れを変える働きがあると昔の人は思ったからツボが多く存在すると考えたのではないかと思います。もしそうであれば、骨の構造とツボの位置というのは矛盾しないということになります。


このことからも鍼灸の役割は、やっぱり血や水の流れをコントロールすることなのではないかと思います。

そして、血や水の流れをコントロールしている「気」の流れというのが、鍼灸治療において最も必要な流れなのではないかと言える訳です。


鍼灸の重要な役割の一つとして、水や血の流れを変えることだとすれば、この海綿骨への血や水の流れを変える方法の一つだったのではないかとも考えられます。それなら関節の症状は、改善できて当たり前だとも言えます。

「気」の流れによって血や水の流れを決めているとするならば、「気」とは何かという問いに答えられなければなりません。しかし、学問的に「気」とは何かという話ばかりで実際の「気」とは何かを明確に示す答えはありません。それは「気」の特性として、第三者に見せることができないからです。また計ることもできない超微弱な力であり、これが「気」ですとは言えないからです。それを良いことにインチキも多く存在します。また西洋医学ではプラシーボという言葉があり、「気」そのものを否定し、それに対する一般的な認知度を高めない風潮があります。科学的という言葉は、それを更に強めてしまい、真摯に「気」と向き合って研究するという一般的な雰囲気は現代の医学界では存在しづらい状態になっています。

これでは発展するはずがありません。


私は、人の思いも「気」の作用の一つなんだろうと思っています。思いや考えというのは、エネルギーの一部だと考えると、目に見えない波長のようなものだとも考えられます。それによって血や水の流れが制御され、その流れの善し悪しによって筋肉の緊張や弛緩が制御されているとするならば、とても納得のいく答えになります。そして、これらは絵に描いた餅ではなく、実際に実感できてこそです。


そういう意味では、この動画をご覧になっていただくと意識と動きは連動しているということがよくわかります。



意識しただけで、関節の動きに影響を与えているところを考えると意識は血や水を流す働きがあることがよくわかります。



「気」の話は、ちょっと置いておいて、海綿骨の多く存在する関節部が血や水の流れを分岐させる線路のジャンクションのような働きがあったとすると経絡が関節部で変化するという臨床上の現象と一致します。あきらかに関節部で経絡が変化するのは触診ができれば誰でも普通に理解することができることです。

つまり、関節は物理的なジョイントとしての役割だけでなく、血や水の流れを分岐させるジャンクションの役割をしていると考えられます。

また顔面部や頭部には経絡が入り乱れ、面積の割にツボが多いというのも頭蓋は海綿骨が多いという解剖学的事実とも一致します。


こういうことに気づいてこそ、分類から抽出ができる考えになるのです。知識で分類するにしろ、感覚で分類するにしろ、どちらも使って分類するにしろ、きちんと現場で、しかも感覚を使って分類できてこそ、正しい抽出ができる訳です。

また「気」を使って分類する時には、術者自身の「気」の能力がとても重要になってきます。それを明確に磨く技術を何度となく繰り返し講習会では話してきました。しかし、これが絶対に重要というところには目を向けてくれず、方法論や優しい説明のみが注目されるのを見ていると、根本的に着眼点が違うのだと痛感させられます。

鍼灸を単なる東洋医学という小さい枠におさめてしまうのも、もっと発展させるのも、こういう着眼点を持った人が一人でも多く存在しているかどうかで決まってくると思います。

単なるリラクゼーションを目指す鍼灸もあるとは思いますが、それでは本当の醍醐味は味わえません。しかし、今は、そういう醍醐味があるということすら知らない人が多すぎて、ハウツーの考え方ばかりになってしまっています。


解剖学は解剖学、東洋医学とは違うという観点は、本当の東洋医学ではないと私は考えています。方法論をいくら学んでも根本的にそういうことを教えてくれません。しっかり分類し、抽出する連想力という力を身につけることこそが応用する力を養うことになります。方法論ばかりだと必ず次は何をすれば良いかを誰かに聞いてしまうようなことになり、結局はセミナーショッピングしてしまうことになります。


ツボを刺激しても効果はありません。


それでは海綿骨の多い部分のツボを刺激したら流れを変えられるのか?

答えは絶対にノーです。


関節部には海綿骨が多く、血や水の流れのジャンクション部だから、そこを刺激するというのは、肩が凝っているから肩を揉んだとか鍼を刺したというのと何ら変わりはありません。これでは発想力が本当に貧相です。


一つ一つは、他の要素からの結果です。つまりツボの存在は、その部位が他とは違うところというだけです。この考え方ができる人だけが「気」とは何かを明確にできる術者です。他と違う場所は他にも沢山あります。それが目の前にいる患者の病気や症状と必ず関係あるとは言えません。それなのにツボを探すことに注目するのは着眼点が間違っています。


ジャンクション部の異常は、複数の要素で成り立っているのです。つまり他の経路があります。それは経絡でもありません。全く違う経路が存在しています。それに気づいた人のみがわかる世界というのがあります。それをもっと多くの人に伝えたい。そんな気持ちで活動しています。


様々な考え方ができる鍼灸師を育てたい。そういう思いです。

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