不安

感情や過去を探るのも、原因物質を探るのも、よく考えれば、アレルギー物質を取り除くのと同じです。

原因を突きとめたと思ったら他の問題が原因になったりしてしまいます。


ホントに不思議な症状だなと思います。

ドアがあかなかったり、ちょっとしたことが思い通りにならなかったりするだけで、それが引き金になって全身に内熱が起こり症状がでたりすることもあります。

私はアレルギーではありませんが、風邪をひいている方が来院すると、急にクシャミが出たりすることがあります。そして、その方が帰るとピタッと止まったりするのです。


そういうことが今までにも何度となくあります。誰にでも起こっていることだと言うことです。


それでも、それが原因だとは思わず、クシャミを我慢せずしっかり出します。

すると嘘のように止まります。

ホントに不思議なことです。


原因を一つ一つ特定して意味あるのかな?

いつもそう考えてしまいます。

原因がない訳ではありませんが、かなり曖昧です。

曖昧なものは曖昧に処理する方が実は効果的だったりするのです。


0か1しか区別できない古典的なコンピューター(現在のコンピューター)と対照的に量子コンピューターは、0と1が共存する近未来のコンピューターの違いに似ています。

どちらが処理スピードが速いかは周知の通りです。

しかし、それも計算する対象によっては古典的なコンピューターの方が計算が速かったりします。

ホントにデジタルとアナログの関係です。


この関係と非常によく似ています。


曖昧とかわからないというのは、意外に明確でわかっているということなのかもわかりません。

あまり追求するのは身体にも心にも負担かかることなのだと思います。


世の中にはわからないことが一杯あります。

わからない。

ということは許されないことなのか?

そう考えると、わかっていると思っていることこそがわかっていない。

ということをあらわしているということなんだと思います。


わからないこと。

それは自然なこと。

それと共にある勇気というのは必要なのではないかと思います。

不安は勇気でしか解決できません。

ジッと待つ。

その勇気なんだろうと思います。


子供を観察しているとよくわかります。大らかな子は、よくなりやすいし、親の思いも大らかです。

なんとかなる。

というのは、とっても大事なキーワードです。


周囲が騒ぎ立てていると良くならない。

原因を追及し過ぎると本末転倒になる。

これは、アレルギーだけでなく、様々な病気も同じだと思います。


なぜ、わからないことを認めようとしないのか?

科学が優位になって、自然をコントロールできるのでは?

という思いがでてきてからアレルギーって多くなったのではないかと思います。



そんなことを考えるより、呼吸をしてみてください。

左と右の胸の動きを観察してみてください。

何か違いを感じます。

それを発見した時の方がずっとずっと楽しいと感じるし興味深いと感じる。

それをわかってもらえるようにしたいなといつも思っています。



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