身体能力

身体能力が良い人は、イメージを使うのがとても上手い人です。

長島茂雄氏が、コーチする時に擬態語を多用して説明したと言う話しを聞いたことがあります。きっとあれを聞いた選手は、戸惑ったのではないかと思います。しかし、ある意味、センスのある人ならその方が上手く伝わるのかもわかりません。

多分、ボールを見ながらボール以上のものを見てそれを伝えたかったのではないかと思います。


日常的な話しになりますが、立体駐車場のような車の高さとあまり変わりのない天井のところに車を入れようとした時に思わず頭を下げてしまうという経験があると思います。自分が頭を下げたから車の高さが変わる訳ではないのに、ついついやってしまうのです。


これは、車が自分の身体の一部になって身体が拡張したイメージを持った状態だと言えます。つまり自分の身体が車と同調し頭を下げることで天井があたらないようにしていると解釈すると、結構日常的に身体の拡張イメージは使っていることなのではないかと思います。特に大切にしている車なら尚更そういう傾向は強くなるのではないかと思います。私達が思っている以上に身体を拡張させるイメージというのは誰でも使っているのだと思います。


家具のない空っぽの部屋に入った時と、家具が置かれた部屋では音の反響も違います。空っぽの部屋に入った時の抜けるような感覚と、同じ部屋でも家具が入ると圧迫感があるみたいな感覚の違いは「場」の違いと言えるのかもわかりません。

身体能力は、その場の雰囲気によっても変化したりするのです。

場の変化は実質的な身体能力だけしか問題にしない人にとっては小さな力だと無視するかもわかりませんが、前記した話しから言えば、そんな感覚しかない選手は二流選手だと言えるかもわかりません。


思っている以上に自分という存在と他の物の存在というのは、大きく関わっています。神秘思想では、身体の周りにある何かをオーラと言ったりしますが、私はあの言葉が大嫌いです。いかにも神秘的な言葉で意味もわからずまやかしているような気がするからです。もちろん真剣に研究している人なら、軽々しく使うことはないと思います。

それが一番わかるのは、格闘技で相手と対峙した時です。経験者なら誰しも理解しているはずです。


別にそんな言葉を使わなくても、その人が出す場の違いでも良いと思います。家具ですら大きな違いを感じるのに、自分を倒そうとしている相手の「場」は計り知れません。そして、誰でもそんなエネルギーはあるし、それを感じることは特種技能でもなんでもなく、みんな知らず知らずのうちに見極めているのです。

姿勢が悪くてしょんぼりしている人と姿勢の良い人ではエネルギーの発し方が違うと誰しも感じます。それをいかにも神秘的だとする考えそのものが嫌いです。


一流の選手は、このイメージングを自在に、しかも無意識に使える選手なのではないかと思います。




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