緊張する
身体が緊張しているということはどういうことか?
緊張=悪い
弛緩=良い
こういう思い込みが誰でもあると思います。
確かに、この関係は間違いではないのですが、それでは誰が緊張させているのか?
そういう問い掛けをする必要があります。
緊張させている正体がわかれば緊張をやめれるはずです。
筋肉が緊張しているから筋肉が悪い?
筋肉が悪いから、筋肉を刺激する?
固まっているから筋肉を伸ばす?
ものすごく幼稚な結末ではないかと思います。
誰が緊張させているのか?
何が緊張させているのか?
これを考え、それを変えないと緊張は緩みません。
また、様々な原因を特定しますが、目に見える原因だけ追求してもそれがやめられるとは思えません。
緊張したのは結果です。
つまり、この結果を起こす前の段階にフォーカスしないと何もわかりません。
それは自分自身であることは間違いないのですからね。
緊張する前の段階、つまり認知する前の段階に意識を向け、そこからくる情報を書き換える必要があるのだと思います。
全ては情報です。
情報があるから緊張しているだけです。
その情報のことを日本人は「気」と呼んだのだと思います。
これを最初に理解していないと、全てが間違った方向にいきます。
運動なら、運動する前の動こうとした瞬間にあります。
その瞬間を捉えていないと何もはじまりません。
それを訓練する方法があります。
それを訓練する意識の仕方があります。
そこさえわかれば様々なことに応用できます。
しかし、それは確かに難しいし、簡単にはできない。
できない=悪い
という考え自体がおかしいのです。
できないことは、悪いことではありません。
できないという現実があるだけで、できないことをわかったというだけです。
まずは、この考え方が大切です。
できたら良いのか?
スポーツは、できる、できないにフォーカスしすぎます。
なぜなら、スポーツはゲームであり、勝者と敗者が存在するからです。
できる=正義 (勝者)
できない=悪 (敗者)
なのです。
これがスポーツ脳の欠点です。これでは認知して現実までにしかフォーカスされてない。
スポーツは、この考え方の先を知る必要があります。
スポーツをもっともっと発展させることで、それに気づくことができる方法でもあります。
スポーツが良いとか悪いと言っている訳ではありません。
その取り組み方によって大きな違いがでてくるということです。
ただ、勝たなくては楽しくないという側面があるので、どうしても、できる=善になってしまいます。
これを乗り越えない限り、本当に楽しいものにはなりません。
勝者=善という考え方は小さい時に培われます。
なかなか消えないのは、その教育の為です。
治療も全く同じです。
術者がこれに気づいていないと、治す=善 治らない=悪
にしかなりません。
治せるけど、治す事が目的ではない。
そこにフォーカスしていないと本当の意味で治ることにはならないのです。
東京セミナーでは、この考え方を元にして臨床を見せていく予定です。
これがわかると全ての治療の本質がわかるようになってきます。
やり方ではない本質を知る。
何々流とか何々法というセミナーにあきた人は、参加する意義があります。
東京セミナーのリンク
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