意味のない世界
なぜか私は統計が嫌いです。
なぜか嫌いです。
自然の中にいると人間にとって意味のないものが一杯存在します。
海に出ると、あんなに穏やかだったのに、なんで30分後に、白波たってるの?
と思う程に豹変したりします。一気に命の危険にさらされます。
これはホントに経験したものしかわかりません。
天気予報は晴れで穏やかな天気という予報だったのにです。
自然は常に人間の都合の良いようには働いてくれません。
それが自然です。
物事を人間中心にした世界観というのは、時として非常に危険な気がします。
人間の身体というのも一つの自然です。その自然で起こっていることに意味のあることばかりのはずがありません。
意味不明なことが一杯あります。
現代医学をみてみればよくわかりますが、原因は?
まだ解明されていません。
と書かれた疾患が山のようにあります。
本態性という名前の病名は原因がわからないと言っている訳です。それなら原因がわからないと書けば良いのにワザワザ本態性なんていう言葉を使う訳です。
医学は時として非常に傲慢になっています。これはホントに意味不明です。しかし、名前がついているので素人には意味があるように感じます。病名をつけないと保険申請できないという理由もあると思いますが、そこは一般市民にもわかるように、原因はわからないと、いちいち説明する必要があります。そうでないと患者さんに考える余地がありません。
患者さんに考える余地を与えるということはとても大事です。
何が原因かわからないことに人間は恐怖を覚え、あれこれ想像を膨らませて現実を見ないようにするという行動をとることがあります。安心でもないのに安心感を与える方法があります。
それが統計の数字マジックです。
逆に簡単に恐怖にも陥れることができます。今回の騒ぎでは、数字に翻弄されています。
統計は、その意味不明なものに対して、何パーセントの確率で・・・。
という確率論で真か偽を判断しています。
そして究極の言葉を使います。
これが「科学的データに基づいた」という言葉です。この言葉、ホントに嫌いです。
そもそも確率なんですから、真か偽のどちらかだと断言するのは間違いです。確率が高いから「真」、確率が低いから「偽」にはなりません。
しかし、訳のわからないことを認めようとしないから数字の大きい方を「真」、小さい方を「偽」とし、それが科学的だと豪語するのです。ホントに占いみたいです。怖いのは、確率で真か偽を大まじめに言って、科学的だと言っているから恐ろしいのです。
それは本当に正しいですか?
そう必ず問いかけてみてください。結局のところ自分でしか決められないということなんだと思います。どっちを選んでも自己責任ということなんだと思います。
もちろん、あきらかに原因のわかっているようなことは、確率は使わないと思います。
真か偽かわからない。
最終的には、どちらを選んでも自己責任ということです。
今、わからないことで確率しか言わないことがありますよね?
世間を騒がせているアレです。
だから、どちらが正しいかなんてわかるはずがない。
医療をする側も受ける側も確率でしか言えないものを、あたかも科学的だと言って間違いないみたいに言うから、余計に一般市民は混乱するのです。
わからないものはわからないで良いのです。わからないものを確率にしてわかったような口振りで科学的だと言わない方がいい。
確率はありますが、どうなるかはわかりません。
これが正しい答えじゃないかと思います。
一般市民にもそう答えるべきです。
しかし、医師の経験上、あなたの場合は合うのではないか?
そういうのが正しいはずです。
そして最後は自分で決めてくれというのが正しいはずです。
その方がよっぽど落ちつくし、正しい判断ができます。
結局、集団免疫ってできたのでしょうか?
何もしていなくても上がったり下がったりしている国もあります。
やってもやっても爆発している国もあります。
科学的根拠って何?
単なる確率です。
今回の騒ぎは、それを明確に教えてくれているのに、誰もそのことに気づかない。
怖いとか怖くないという極論でしか判断していない。
確率なら、東洋医学は、もう太古からやってますよ。科学的な検査法がなかっただけで人間をよくよく観察して、それを統計にしています。滅茶苦茶良く観察しています。ビックリする程です。
それでも最終的な答えは曖昧です。
なんで今更、確率論がもてはやされるのですか?
意味がわからないです。
手法が変わっただけで、やっぱり同じことをしているんだなぁ~とつくづく思います。
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