信念が現実を形作る
目に見えない存在を信じることで、人々はその存在を現実に感じることがあります。
例えば墓参りや神社仏閣への参拝は、目に見えない先祖や神への畏敬の念を示す行為であり、唯物論者でさえ、先祖の墓を冒涜することをためらうでしょう。これは、目に見えない存在を確信しているからであり、たとえ目に見えなくても、人はその存在を実在するものとして認識し、行動に影響を受けているのです。
このような行為は、一見不思議に思えますが、人間社会ではごく普通に行われています。人が何かを強く信じ続けることは、何らかのエネルギーを生み出し、実際に身体にも影響を与える可能性を示唆しているのうだと思います。
二重スリット実験が示すもの
量子力学の二重スリット実験では、光子に「右側のスリットを通過する」という意識を200人以上の人が集中させることで、実際に右側のスリットを通過する確率が上昇したという報告があります。もちろん、まだまだ実験段階ですが、面白い結果だと私は思っています。これは、人間の意識が量子の振る舞いに影響を与える可能性を示唆しており、今後の研究が期待されています。
経絡やツボ
経絡やツボの存在も、このような意識と物質の関係性から捉え直すことができるかもしれません。信じる心が、目に見えないものを現実のものとする力を秘めているとすれば、経絡やツボもまた、信じる心によって存在し、効果を発揮すると考えることで、その不思議な現象を説明できるかもしれません。
歴史のあるものは、信念や概念から成り立っているものが多くあり、迷信と言えばそれまでですが、量子の振る舞いが人の意識によって変化する可能性があるのであれば、概念が迷信だと言い切ることはできません。
もし、このような意識と量子の関係性が明らかになれば、鍼灸治療はさらに発展する可能性を秘めています。
一般的な東洋医学を学んできた者にとっては、突飛な考えに思えるかもしれませんが、経絡やツボもまた、目には見えません。しかし、歴史や経験に基づく「ある」という確信によって存在し、効果を発揮していると考えると全ての現象が説明できるのではないかと思っています。
逆に、経絡を全く信じていない人にとっては、経絡やツボは存在しないとも言えるでしょう。目に見えない以上、それは当然のことであり、宗教における信仰と同様に単なる概念だと言えます。
しかし、この概念こそが人間の行動に大きな影響を与えているとするならば、医学そのものを見直す必要があるのではないかと思えます。
この考えに至ったきっかけは、腹診の図が開発者によって異なるという事実でした。同じ腹部を見て、全く異なる臓腑の配置になっているのは、経絡やツボの適応を診断する診断図そのものが、信じる概念によって存在し、開発者のシステムによって、その位置や状態が簡単に変化してしまうということを示唆していると考えられます。耳ツボ、足ツボ、高麗手指針なども同様の構図です。
経絡やツボの配置が流動的であり、信じる心によって具現化し、変化するとすれば、これらの記述の矛盾を説明できます。そして、開発者の背景や経験によってシステムが異なるとすれば、このような現象が起こることは不思議なことではないと納得できます。
科学もまた、仮説を信じることで発展してきました。「ある」という思いが経絡やツボを出現させ、現実を創造する力を持つことを証明できれば、この考えを裏付けることができるでしょう。
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