この現象が全てを物語っている
私がなぜ小さい動き、綺麗な動き、ゆっくりの動きに目を向け続けたかというのは、このような経験があったからだろうと思います。
小さい動きなら頑張る必要はありません。
ゆっくり綺麗な動きをしようと思うと小さい動きでも少し頑張る必要があります。
ただ、この時に一生懸命やらないで、ただやろうと思うぐらいだと、うまくできるようになってきます。
そして焦らず、今日できなくても明日できれば良いと思う気持ちで取り組むとできるようになってきます。
また、集中、スピード、分散、配分をうまく使うことで出来なかった動きができるようになってきたりします。
しかし、出来るようになる必要はありません。
これが出来ることは目標ではありません。
ここが一番重要です。
ただ、やろうと思う意識が大事で、出来るか、出来ないかは全く関係ありません。
出来たから良い訳でもありません。
かといって、その過程が大事なのでもありません。
殆どの人は、できるように努力しようとしますが、できるようにする努力こそが大きな問題なのだと思います。
全てを出来るか出来ないかで判断する脳の意識に気づいて欲しいのです。
できたらOK、出来なかったら駄目と考えるのは既に終了しているということです。
出来たらOKということはそこで止めてしまうということにつながります。それ以上は望まないようになります。
それは止めることが前提です。
出来なくて駄目だと思ったら、やっぱり止めてしまうことになります。
出来るか、出来ないかで判断するから最終的には止めてしまう結果になる。
だから執着してしまうことにもつながります。
どれだけスポーツが出来たとしても一生続けることは不可能です。止める前提が必ずあります。
それにしがみついてしまうことこそが力が入っている証拠とも言える訳です。
何度も言いますがスポーツを否定しているのでもなく肯定しているのでもありません。
その先にあるものを見据えて欲しいと言うことです。
若い時に運動することはとても良いことです。
しかし、80歳になったら、殆どの人が出来なくなります。90歳になったら更に出来なくなります。
それが出来なくなって急激に衰えてしまう人もいます。
それは本当に価値のあるものなのかを立ち止まってみる必要があります。
誰しも、いつかはできなくなるのがわかっているはずです。
止めることが前提なので過程でもないし、その結果でもありません。
どんな結果を残せたとしても既に終わっている過去のものということになります。
ただただ、やってみる。
それに意識を集中、分散、分配してみる。
これは90歳になっても100歳になってもできます。
生きていること自体が、それを止めない理由となる訳です。
ある意味、一つの真実と言えます。
そんな状態で仕事を続けていきたい。
そういう思いがあります。
少しずつ、それに焦点を合わせられるようになってきました。
なぜ頑張るか?
これを問い続けていこうと思っています。
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