- Shyuichi Nakamura

- 9月11日
更新日:9月11日
概要
一つの刺激が個人に与える影響を科学的に検証する方法です。
集団に対する統計データ(例:100人中何パーセントが改善したか)は全体観を示しますが、個人の症状に対する科学的証拠とはなりません。刺激前に可能な限り個人の状態を全て調べ、刺激後にその変化(関節の動き、筋肉の圧、皮膚の反応など)を具体的に観察・検証することです。
知識要点
単一刺激の影響を比較検討するには、刺激前後の全体的な状態を比較検証する必要がある。ある一つの刺激がどの範囲まで影響を及ぼすかを評価するためには、まず対象の全体的な状態をすべて把握し、刺激を与えた後で、刺激前と比べてどのような変化があったかを検証することが不可欠です。
その刺激がどのように影響しているかを調べることが、個人的なデータとしては有用です。
統計的データ(例:100人中何パーセントが改善したか)は全体観であり、個人に対しての科学的証拠ではありません。
どれだけ高い確率で、その症状を治せる方法だと言っても、その人に合う方法かどうかは確率論でしかないので、絶対ではありません。例えば100人中何パーセントの人にある刺激が効果があったかというデータは、あくまで集団全体に対する統計的なものであり、目の前の特定の患者個人に対する科学的な証明とは限らないということです。これが臨床の現場では必要なことです。
患者を納得させるためには、その患者個人の刺激前後の変化を具体的に示す必要があります。個々の患者に治療効果を納得してもらうためには、まず治療前に可能な限りその患者のできる限りの状態をすべて調べ、一つの刺激を与えた後、刺激前と比べて具体的に何がどう変化したかを**検証し、**見せることが重要です。
関節の動き、筋肉の圧、皮膚を引っ張ったりつまんだりする反応など、主観的とも言える方法で要素を見つけ出し、刺激を与えた後にそれらがどう変化したかを観察することこそが、その人にとっての真に科学的なアプローチだと考えます。
ある刺激が何パーセントの人に効果があったかという問題は、その人個人の問題ではなく、複数人での統計上の問題です。
単一の刺激が特定の割合の人々に効果を示したかどうかは、あくまで**個人の問題ではなく、**もっと全体的、複数の状態で統計が取れた集団レベルでの議論であり、個々の患者の問題とは切り離して考えるべきです。
治療とは、力を加えて治すものではありません。情報を整えて、異常な反応が“自然に必要なくなる場”をつくること。
それがNBR法の出発点です。
◆ 東洋医学を読むということ
私がこの考えに至るまでには、長年の臨床と、東洋医学の書物を“斜め読み”しながらの探求がありました。
正直に言えば、書かれていることをそのまま読んでも、臨床では役に立たないことの方が多かったのです。大切なのは、「何が書いてあるか」ではなく、「何が“意図されているか”」を読む力です。
◆ 「気」とは何か──問い直しから始まる
東洋医学は「気の医学」と言われます。では、「気」とは何でしょうか?
鍼を穴に刺しているから東洋医学だ
経絡に沿って治療しているから正しい
──こうした思い込みが、気の本質から私たちを遠ざけてきたのではないでしょうか?
◆ 穴は“場所”ではなく、“反応の出現現象”である
“穴”という概念自体、固定された場所ではありません。
高麗手指鍼
耳鍼
頭皮鍼
足の反射区
夢分流
これらのように、経絡やツボの概念と無関係でも、高い治療効果が出ている例は無数にあります。
つまり、「経絡上の穴だけが治療点である」という考えは、大きな誤解です。
◆ 答えを導くには、「次元」を変えてみる
こうした現象を正しく理解しようとするとき、私たちは“肉体だけ”を対象にしている限り、答えにたどり着けません。
人間は、地球・太陽系・銀河系という時空の構造の中で生きている存在です。 肉体はそのほんの一部の現れであり、時間や空間、情報構造に含まれる存在として再定義する必要があるのです。
これは三次元の世界では捉えきれません。四次元(時間)・五次元(情報の場)といった、“より広い次元”での理解が求められます。
◆ 「気」とは、情報である
現代の言葉で言い換えるなら、「気」とは情報であると考えるのが、最も合理的です。
私たちの身体は、
粘膜や皮膚、筋膜、骨膜
呼吸や自律神経、意識の状態こうしたすべての要素が、情報として立体的に共鳴しながら存在しています。
◆ 治療とは、“情報の振動”を調律すること
物質とは本来、エネルギーの振動です。身体も、臓器も、皮膚も、骨も──**情報が意味ある形で存在している“振動”**なのです。
その振動が乱れているとき、私たちは「痛み」「違和感」「不調」として受け取ります。でも、その情報が整ってくると──
身体は無理なく、自然に整いはじめるのです。
◆ 「気(情報)」を扱うために必要なこと
情報を扱うには、道具や技術ではありません。必要なのは、**術者の意識の“純度”**です。
同じ条件で、同じ刺激をしたとき
なぜ反応が違うのか
なぜ効くときと効かないときがあるのか
それは、**術者の意識がどれだけ“純粋に共鳴していたか”**に左右されます。
◆ 情報が整えば、身体は変わる
情報が整ってくると──
背筋が自然に伸び
呼吸が深くなり
足が無理なく閉じ
痛みが消えていることに気づく
何かを“治した”のではなく、“治す必要のない場”が生まれたということです。
◆ 最後に
治療とは、情報の再構成であり、「力」ではなく、「意味」で変化が起こる世界です。
それを体験してはじめて、東洋医学の「気」が何であるかを、身体で語ることができるのだと思います。
怪我を防ぐための運動の前提
「基準」の認識
運動の本当の意味:意識と脳の役割一般的な「筋肉を動かすこと」という運動の定義に疑問をもっています。運動の根源は「運動したい」という「思い(意識)」にあります。その意識が脳に伝わり、脳が司令塔となって体を動かすというプロセスを解説しました。
無意識の癖と代償運動脳の指令が体に伝わる過程で、無意識の癖が動作に影響を与えます。五十肩の患者が手をあげるとき、肩甲骨から不自然に上げる「代償運動」を例に、痛みや長年の習慣が非効率的な体の使い方を定着させてしまうということを例に上げて説明しました。
脳の特化と習慣:文化とスポーツの例箸を使う文化や正座、スポーツ(野球、テニスなど)を例に挙げて、特定の動作を繰り返すことで脳がその動きに特化していくことで、その人の本質的な動きを決めます。この時に重要なものが目からの情報や肌感覚、そして今、手や足がどの位置にあるかという感覚です。目からの情報を遮断すると、位置情報が明確になってきます。
運動の前提:「基準」の重要性多くの人が自分の姿勢を「まっすぐ」だと思い込んでいますが、実際には腰が引けていたり左右非対称であったりと、無意識に崩れた姿勢をとっているのが普通です。この「基準」のずれが思い通りに運動を行えない理由の一つです。
体の「基準」を見つけるための実践エクササイズ椅子に浅く腰掛け、(1)つま先を正面に向ける (2)膝の間に拳一つ分の隙間を作る (3)膝の真下に足を置く、という具体的な方法で体の「基準」となる座り方です。この姿勢で感じる「違和感」に注目することが大切です。
「基準」のずれと怪我のリスク体の「基準」がずれたまま運動することは、空気圧の違うタイヤで高速道路を走るようなものです。今は良くても、必ず怪我につながる動きを作ってしまいます。それを治すのではなく、認識することが大切です。1㎝ズレているのが自分の癖だと認識していれば、修正は可能です。
真っ直ぐな人はいない基本的に左右対称はありえません。目に見える部分は、左右対称のように見えても内臓は、左右対称ではありません。身体の中心にある臓器が左右非対称なので、必ず非対称になるのが普通です。ただ、それが大きくズレないように意識していることと、それを認識していることがとても重要なのです。
結論
運動の真髄は、物理的な動きそのものではなく、それを引き起こす意識と、その指令を体に伝える脳の作用にある。
怪我や習慣によって、体は無意識に痛みを避けるための不自然な「代償運動」を学習してしまい、それがさらなる問題を引き起こす原因となる。
日常の習慣や専門的なトレーニングは、特定の動きに特化した脳を作り上げ、それが体の使い方や能力を決定づける。
運動を行うためには、まず自分自身の体の「基準」となる正しいニュートラルな姿勢がどこにあるかを知ることが不可欠である。
基準の姿勢をとった時に感じる「違和感」は、普段の体の歪みや癖を示している。例えば、大腿の内側に違和感があれば、普段は足が外向きになっている証拠である。
体の基準のずれを自覚せずに運動を始めると、負荷が偏って怪我をするリスクが非常に高くなる。運動の成果を上げるためにも、まず自分の正しい位置を知ることが最優先である。
修正ではなく、認識が最優先される必要がある。
いかに力を抜きながら動けるか?
これが本当に大きなテーマです。この時に音を使うことが大切ということもセミナーでは話をしました。




