痛み
何をしていても痛むというのは、肉体だけでなく心に傷をつけてしまいます。
「もうあんなこと絶対に嫌」
って思うことで、それから逃れようとしてしまいます。
テストドライバーは、高速で運転することを強いられます。
そのドライバーが事故を起こしてしまっても怪我が治ったらすぐに運転しないと二度とドライバーに戻れないという話があるそうです。
トラウマになって、身体に刻み込まれるみたいです。
ただ、面白いのは出産は、あれほど長い時間痛くて、男性なら失神するのでは?
と言われる程の劇痛なのに、なぜか、その痛みを忘れてしまうそうです。
どんな痛みだったのか思い出すことができないというのは面白い現象だと思います。
股関節の痛みも歩くたびに痛みがあるので、痛みを恐がり過ぎて、体重をかけられない。
だから、普通の痛みより治りにくいと言われています。
しかし、体重をかけないことが痛みの原因なのですから、体重をかけなければ痛みがなくなることはありません。
かばえばかばうほど、余計に痛みがでてきて、歩けなくなってしまいます。
逆にこの構造が痛みの本質を物語っているように思います。
痛みを怖がっているのではなく、痛みを伴う動作を怖がっている。
つまり痛みがない状態なのに、痛みが起こるかもしれないという動作を最初から避けて動こうとするから痛みが余計にでてくるということも言えます。
つまり、痛みの予測が過剰になることで、痛みから逃れる動きしかできなくなってしまうということだと思います。
それが元になって、変形が起こり、最終的に治らなくなってしまうのだろうと思います。
だからこそ、その動作をしても痛みがないという事実を積み重ねることなんじゃないかと思います。
痛みが出そうな動きをしようとした時に、痛みが出ない位置まで何度も動かして、痛くないという経験をすべきなのではないかと思います。そう言う経験が痛みを乗り越える方法なのではないかと思います。
怖がらずに積極的に動かそうとしていると痛くない脳が形成され、痛みを早く緩解させられる可能性があるのだと思います。
きっと、ここまでなら痛くないという経験をすることでオキシトシンやエンドルフィンが適量だけ出て痛みを制御できるようになってくるのではないかと思います。
過剰な薬物投与は、適量ではない為に、依存を作ってしまう可能性があるのはその為なのではないかとも考えられます。
面白いなと思うのは、股関節や膝の痛みがある人って、早歩きなんです。
痛みから逃れようとする為に重心が浮き上がって、早歩きをしてしまうのです。
そんなに痛いのなら、ゆっくり歩けば良いのに?
って思うのですが、地面にできるだけつきたくないと思うから早歩きになってしまうのでしょうね。
そういう人が来た時に、怖くないよと説明するのは本当に難しいのです。
股関節を治すのではなく、その人の心に巣くった恐怖を取り除く必要があるからです。
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