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無から有

全ては同じ何らかの要素でできています。


それは真理と呼ばれているものに近い気がします。

どんな仕事をしていても、その真理に近づきたいと、みんなが思っているのだと思っています。


しかし、周囲を見回してみると、そうでもないなぁ~と思うような人が多いのは驚かされます。

方法論は、そのうちのもっとも代表的なものです。

方法論を間違えなければと考えている人が多いのも驚かされます。


方法論には余白を残していなければなりません。

一から十まで教えてしまうと応用が利きません。

ガッチガチです。

応用が効かなければピンチになった時に新しい発想が生まれません。

そんな人を量産してしまいます。


つまりそれを教えられた方が困るのです。

方法論をやり続けると、必ずその後には行き詰まりがあります。

そして、次はどうすれば良いのか?


という疑問が永遠に起こります。

そして、自分のやり方が悪い。勉強が足りないと嘆きます。

知識でそれをカバーできる程、容量が狭いものではありません。

だから堂々巡りを繰り返します。

そんなふうにならない為には感覚を磨く必要がある訳です。


何もないところから何かを引っ張ってくる。

無から有です。

太極から陰陽が生まれるのと同じです。

何もないところから突然、陽子と中性子が生まれ、水素とヘリウムになったのと同じです。


この前の大阪セミナーでも脉診という感覚のみで選んだのにもかかわらず、その人の症状と一致し自分で驚いていた人がいました。

無から有を引き出したのです。

感覚を磨くには単純なやり方は必要です。

しかし、それは1分で教えられるような簡単なやり方です。

それで十分です。


同じに見えていたものの違いを見つけ、それを修正する訳です。

感覚は実験です。

その実験結果を記録し分析する。

その過程で知識や経験は必須です。

しかし、知識や経験で選べばどこまで行っても過去からは逃れられません。


そこには既存の方法論では対処できない世界があるからです。


感覚に根拠なんてないのです。

新しいものに最初から根拠なんてありません。

根拠があったら、新しいものではなく、古いものを積み重ねただけです。


それがわかるかどうかはとても大事なことなのです。

身体はまだまだわかっていない無数の謎だらけです。

それを探すには、わかっていないということを理解しなくてはならないということです。

既存のものに見えるものであったとしても、根拠なく閃いたものというのは既存のものではありません。


この意味がわかるものだけが新しいものを発想することができるのです。




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