触診で何がわかるのか?
背中にズブズブと刺す鍼が鍼治療と思い込んでいる人が多いと思います。
それは、プロの鍼灸師も同じです。
そうするのが当たり前だと認識しているので、疑いをもちません。常識を疑わないと進歩はありません。
それを脱却するには、何が問題であり、どんな刺激をすると何に効果があったかを調べて行くことが重要だとわかります。
そして、その刺激は最小限でなくてはなりません。なぜなら、その刺激が最適ならば、触れる程度でも身体に変化が起こるからです。主訴が腰痛であったとしても、腰を触れて変化がないのは腰が治療対象として適応ではないという意味です。
もちろん、腰以外の異常が全てを良くするものでなくても、微弱であっても変化があるということが重要です。その変化を感じとる必要があります。
つまり、診断→刺激→変化の有無
を繰り返す訳です。
主訴(患者さんが訴える症状)は参考にしながらも、何が異常かを考えていないと見えるはずのものが見えてきません。
主訴に惑わされてもイタチごっこをしてるだけだとそろそろ気づかなければなりません。
人間の体はそんなに乱雑にはできていません。乱暴なことを嫌います。結構繊細なんです。
例えば腰痛であったとしても問題は胸や腕に反応が強くでていることが多く、上半身の治療がメインになってきたりします。というより、上半身の調整をしないと本来の腰の異常が見えてこないという状態になります。
本来の腰の異常は、ホントに小さな異常(1㎝角ぐらい)だったりします。余分な影響が腰に集まって腰の症状が出ていることも多々あります。
腰の異常が他の影響によって隠れてしまっていたりするのです。それを無視して腰に刺激をすると、濡れ衣を着せられた腰は怒り出します。たまに、濡れ衣だったとしても、それを受け入れてしまうこともありますが、そうなると他の問題が出てきたりします。
刑事ドラマみたいですが、人間の身体にもドラマがあります。
やっぱり真犯人がいる訳です。何が問題で何が問題でないかということと、その順番を考える必要がでてくることがよくわかります。その犯人がわかれば、主訴は1秒とかからない間に変化してきたりします。動かなかったものが動き出したり、緊張が緩んだり一瞬でするのです。
時間をかけなければならないというのは幻想だとわかります。もちろん、時間をかけなければ変化がわからないものもあります。例えば皮膚炎などは、急に綺麗になったりすることはありません。
そこで重要になってくるのが触診です。しかし、触診は、術者の能力によって大きな差があります。強く触ってしまう人は力でねじ伏せるように刺激してしまいます。
まずは軽く触れて違いを感じることが大事です。右肩を軽く触れる、左肩を軽く触れる。
そしてその差を感じる。軽く触れる訓練をすることです。
それにはテクニックがあります。具体的なことは専門家のオンラインサロンでも話しをしたりしています。
精度をあげれば、かなりのことがわかるはずですが、触診だけでは予測の域をでません。そう認識していることが重要です。
できるだけ多角的に観察し、確証を得る答えを見つけていくことが大事です。
どこまでいっても確からしい、でとどめておくことです。そうすると見えないものが見えてくる。
感覚は大事ですが、感覚が全てだと思い込まない方がいい。だからと言って頭で考えることが正しい訳でもありません。頭で考えることは、過去の事実であって、目の前にいる患者さんの状態とは違う可能性もあるからです。それを無視して何パーセントが適応だから間違っていないと自分を振り返らず、ごり押ししてしまうのは、医療者の傲慢さです。
常に自分が出した答えを疑い、それが正しいかどうかは、実証してみる必要があるということです。
その精度をあげる為の努力をコツコツとやっていると、触れるか触れないかで異常を見つけることができるようになってきます。人間の感覚は研ぎ澄ませば、精密なセンサーとなってきます。もちろん、それには訓練が必要です。
異常が見つかっても、それが全てだとは思い込まない方がいい。常にどうなのかを考察することが大事です。
感覚も疑い、学問も疑い、疑っても残るものが一つの真実かも知れないという立場です。やって効果があったとしても、それは本当に正しいのかを疑う。つまり、次ぎの患者さんが同じ症状であったとしても同じでない可能性を探る必要があるということです。
一口に触診と言っても、そんな思考の癖をつける必要があるので、一筋縄ではいきません。
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