無意識にアクセスする
昨日の話の更に続きですが、意識が勝ちすぎていて強く押さえないと効果がない。
と思っている人は、意識を満足させたい人です。
一般的には、それを慰安と言います。
意識を満足させるのと治療効果をあげるのは大きな違いがあります。
私達は意識的に行動していると思っているかもわかりませんが意識的に行動できることはとても少ないのです。
歩いている時に右足を出してから左足を出すと思って歩いている人はいません。
これらは無意識が足を出してくれています。
そもそも呼吸も無意識です。
もちろん、意識すれば呼吸を深くも浅くもすることができます。
意識は、無意識のどの部分にもフォーカスできます。
無意識は膨大な情報を与えています。
そしてそれらを常に感じ取っています。
意識には全く気づくことがない情報量です。
意識は自分が思ったものしか見ようとしません。
ギターを引く人は、同じ曲を聞いてもギターの音がよく聞こえます。
ドラムを叩く人は、ドラムの音がよく聞こえます。
意識の作用は、無意識が感じている全ての情報のまとめ役です。
もし、全ての情報を捉えてしまったら混乱するしかありません。
だから目に見える形になって意識が存在しているのです。
いわば氷山の一角を意識は担っていますが、意識が強くなると、意識が全てだと思い込んでしまう作用があります。
今、自分が感じたいものを感じているだけなのに、それが全てだと思い込みたいのです。
意識は常に都合の良いように嘘をつきます。
交通事故にあうと、白黒に見えるというのをご存知でしょうか?
緊急事態になると身体の動きに注意がいき、視覚の情報を一瞬で最低限の解像度に途切れさせる機能があります。
私も実際に体験したことがあります。
意識は、本質を見ているようで全く見ていないということです。
学校で習う知識も全ての世界の一部分でしかありません。
それが全てだと思い込むことは簡単ですが、現実はそうではありません。
意識だけを満足させようとする行為は、意識が今感じたい感覚(気持ちいい)が絶対だと思い込んでしまった状態です。
慰安の治療は、気持ちいいわ~とかグイグイくる刺激だ~とか、鍼の得気がきた~と言われることを喜びます。
意識の感覚にしかフォーカスしていません。
何の刺激がなくても無意識の問題が解決すると勝手に動きが良くなったり筋緊張が緩んだりします。
これは事実なのですが、そういう現象が起こることを意識が知らないので「そんなことは起こるはずがない」という常識で物事を判断してしまいます。
もちろん、慰安が治療効果につながるときもあります。
しかし、それは全てではなく一部です。それを知っていなくてはなりません。
そのことに気づいていて、慰安をするのと、慰安だと知らないで行っているのは大きな違いがあります。
これでは意識を満足させるだけの治療にしかなりません。
意識が満足しない=悪になってしまうのです。
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