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治す技術4

意識しているものが違うと触診できない。


これは実感するしかないのですが、人を触る時には意識しているものしか触診できません。

何の問題意識もなしに触っても、ただ触っているだけにしか過ぎません。


しかし、ただ考えれば良いかというとそういう訳でもありません。

こういう技術で触診した結果を昔の人は「気」と呼んだのかもわかりません。


もし、これを「気」と呼んだとすると、様々なことが理解できます。

経絡は目に見えません。

目に見えないからないとは言えません。

このような技術で触診すると経絡も穴も普通にわかるようになります。

しかし、単純に経絡と思っても触ることはできません。


肩が痛くて・・・

手が上がりにくい


という人が来た時に肩にだけ意識をむけてしまう人が普通ですが、肩は単なる結果だと思える人と、そうでない人では、問題意識は大きく変化してきます。

また、肩と関連している何か?

という問題意識を持つとそれに関係したものが出現してきます。

ただ、それは一つである場合もあれば、二つである場合もあります。

または、それ以上のこともあります。


常に頭が柔軟でないと問題を解決することができません。

そして、そのままの状態を観察できる目というのが必要です。

人間の脳は様々な情報を含んでいます。

その情報の一つ一つをクリアにしていく作業が必要です。


人に触る時、頭の中はとても忙しい。

スピード、リズムが伴うと自然に経絡や穴を触診できるようになります。


どんな技術も基礎が大事と言いますが、治療において触診は基礎の基礎です。

なぜ、気を扱うことができないかは、これを理解しているかいないかの違いです。

その基礎ができていないうちから、やり方や治療法を学んでも何の意味もない。

というか、必ず元の状態に戻ってしまう。

余計に苦しむだけです。


どれだけ頑張っても「肩の痛み」という関節の問題点から逃れられない自分がいることにも気づかされます。

そして、それらがつながっていることも理解しません。

頭ではわかっているのですが、見ようとしない自分にも出会います。

常に感情と記憶に支配され、その感情と感情の為に、それを見過ごしてしまう。


肩に関する問題が胃と関係するかもわかりません。

神経の一部からくるのかもわかりません。

経絡の経別から来る場合もあれば、奇経からも来るかもわかりません。


その時にどんぴしゃりなものがあてはまると、勝手に緩むように劇的に変化します。

人間の身体は情報のやり取りで成り立っています。

その情報を操作する方法です。

力は必要ありません。


それがわかると肩は得意で腰は不得意とか、そういう問題もなくなります。

単純に見える症状であっても複雑なものもあります。

複雑に見えて単純なものもあります。


そこが本当に面白いところです。

そしてこれを説明するには、そういう体験を何度も繰り返すしかありません。

言葉では伝えられないものがあります。


混乱を伴い、どうすることもできないと言う経験をしてこないと私の話は絶対にわかりません。

伝えようがないのです。


つまり、やるしかないのだと思います。

それならば楽しむしかありません。


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