意識が身体に変化を与える
最近のブログの記事 をご覧になって頂くとわかりますが、刺激としては無いに等しい刺激です。それでも、あきらかに身体が変化しているのがわかります。この現象は、現代科学では説明はできませんが、人が何かを意識すると、それが刺激となって動きや緊張が変わってしまうということだと思います。
(注意)この投稿の内容は全く科学的根拠がありませんので科学好きの人は読まないようにして下さいね。
しかし、私は神秘思想も嫌いです。東洋医学のあるのかないのかわからないような言い伝えも自分で確認できないものはあるとは思いっていません。ついでに陰謀論も嫌いです。
意識は、無意識の中のホンの一部分でしかありません。私達の行動は、ほぼ無意識と言っても過言ではありません。歩行をする時に一々右足から出して左足を出すなんて意識してません。頭が良くなり過ぎると、そんなこともわからず意識のウェイトが無意識より大きくなってしまいます。たぶん、これは自然に大きく反するものです。テレビなんか見てないで、もっともっと無意識を意識した生活をした方が良いです。
時には根拠のない自信というのは人を動かす最も重要なエネルギーになります。神社に行って、気持ちが良いと漠然と感じている人は多いと思います。これを説明できるでしょうか?
何らかの思い込みだと主張する人がいるかもわかりませんが、これだけ多くの人がそれを感じているからお参りする人が後を絶ちません。科学的に言えば、かなり根拠があると主張しなければならないはずです。そうでなければ科学ではありません。
科学と宗教は対比されることが多いですが、対比したのは人間の頭です。科学も自然現象の一部なのですからわけて考えられるはずもありません。これがわかっていない頭の良い人は多いです。
また、お参りの仕方によって身体が軽くなったりもします。これは何度も体験していますので私にとっては信じるに値する事実です。何度も書きますが、私は神秘思想家ではありません。あるものはあると実感しているだけです。それを何とかして伝えたいなとは思っていますが伝わらなかったら私の力不足だと思うようにしています。
なにも意識せずお参りする場合と意識してお参りするのは大きな違いがあることも実感しています。
意識は無意識の一部です。分離したことは一度もないはずです。でも教科書を見ると分離しているように見えます。頭が良く、分類が好きな人程、これを分けて考えようとしてしまいます。これこそが最大の思い込みなのだと思います。人それぞれですが人間は一日のうち何時間かは絶対に無意識になります。つまり寝て無意識になっているということです。長い人だと10時間ぐらい無意識です。一日の半分よりちょっと少ないぐらいですよね。しかし、いつ寝たのか区別できる人はいますか?
たぶんいません。