意思と意志
東京支部長が昨日の投稿に対して投稿してくれました。
意思と意志
漢字が違うので微妙に違いがあるのだろうと思います。
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東京支部長の本橋です。
先日、私の勉強会にご参加いただいた女性鍼灸師の先生が勉強会翌日に寝違いを起こした!という話しから、色々とお考えになったことを送ってくださいました。
その内容について、私なりに考えたことを書いてみます。
昨日のブログから文章を拾い出してみました。
まず、寝違いを起こした要因は様々だと思いますが、ご本人が色々やって良くなったようですので、流石治療家!ということで収めときます(笑)。
>・人間は元に戻ろうとする力がある(ホメオスタシス)→コンディショニングされる(正しい方向に体を戻す)→寝ている状態(無意識下)で元々の状態に戻ろうとする→次の日寝違え、という流れです。
確かに意識が薄くなると、元の方へ戻ってしまうというのは、よくあることです。
>逆に、そのホメオスタシス的揺り返しこそが、いわゆる好転反応ってやつなのかなとも思いました。
そこで意識を正常な方に持っていけるかどうか、が元通りになってしまうか、よくなっていくかの境目なのかもしれませんね。
「ホメオスタシス的揺り返しこそが、いわゆる好転反応」という風にも考えられます。
>意識と意志の使い分けをするのか?
という事です(言葉遊びみたいですが)
ふんわりと全体像を感じるのが意識
ここをこう感じるぞ!
こう動かすぞ!(力加減は微細でも、ピンポイントでちいさく動かそうとする)のは意志
って感じがしました。
意識と意志という言葉ですが、私としては意識を意思という言葉に置き換えてみました。
それぞれの意味を調べると、
意思・・・考えや思い
意志・・・成し遂げようとする心
とあります。
確かに、「ここをこう感じるぞ!」とか「ここをこう動かすぞ!」という意識は意思です。
>その正しく動かすぞ!と思う意志をちゃんと持っている方は、身体が随分変わってきています。
こちらも意志をきちんと持っている人は体の変化が早いし、痛みからも解放されます。
私も、体をきちんと動かしてほしいなーと思っていても、よく出来る人とそうでない人がいます。
きちんとやれば、痛みから解放されるのはイメージできるのだけど、それが出来ない、いや、やろうとしない。そういう人は確かにいます。
それは何故でしょうか?
痛みから解放されたいのにやらない?
痛みが取れるとは本気で思っていない?
体を小さく丁寧に動かすことを軽視している?
世の中の人が皆、強い意志を持っていれば痛みが無くなるのでしょうか?
難しい問題です。
私は、その人自身の問題だと思っています。
その人自身の生き方といっても良いです。
続きます。
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