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安易な道はない

基本的に安易な道はありません。

テクニックを習得すればする程、テクニックに溺れるのを実感します。

学べば、学ぶ程、学問に翻弄されます。


基本は入力と出力です。

感覚だけでは・・・

という人は多いと思いますが、感覚というのは実験場みたいなものです。何かの刺激を与えたら、何かの出力があった。

そこから考える。


その時に何かの理論とマッチした。

それは、その現象の単なる説明材料というだけです。

実験場は常に最先端です。


右に捻った。

左に捻った。

何かが違う。

何が違う?


そこに焦点を合わせない人は、テクニックに溺れます。

必ず溺れる。

また、為末氏の話になりますが、彼も小学校の時は普通に出来ていたことが、技術を習得することで、走りがギクシャクした時期が大学時代にあったそうです。世界は違いますが、有名なアスリートであっても、必ずテクニックに溺れる時期があるのだなと思います。この例は治療も全く同じです。治療の場合はその周期がかなり短い。相手がいるので、それにも翻弄されてしまうので実証の裏をとりにくいという違いはあります。


一つ教えられたら、それを徹底的に疑う。

自分なりに、その裏をとる。

これは入力と出力がしっかりできている学び方です。


ただ覚えてやってみる。

やってみることはOKですが、それでは足りません。

必ずその裏をとらないと表から見た面だけでは絵に描いた餅です。

自分で考えたり、違う実験をして、その事実の裏をとってはじめて見えるものがあります。


このような結果、有益な情報と感覚が養われます。

それに安易な道はありません。

テクニックではカバーしきれない情報の山があります。

その大きさに驚き、テクニックの前に何もできない自分を知り、たたずむだけになってしまいます。

結局なにもできない。

スポーツもスポーツ以外も全く同じなんだと為末氏の話を聞いていて思います。




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