勘違いされやすい運動
シンスプリントの話しを書きましたが、スポーツを悪者にしている訳ではありませんので勘違いしないで下さいね。
そんなことは本来どっちでも良いのです。
本人が楽しくやっているのなら、どんな負荷をかけようが怪我は逆にしにくくなります。怪我しても治りはとてもいいです。
問題なのは、子供がスポーツをする時に、子供ってそんなに大人ほど集中できるのか?
という疑問です。
子供にもよりますので、全ての子供ではないとは思いますが、多くの子供にそれを求めるのはどうかと思います。
どんなに面白いものであったとしても、同じゲームを長期間続けるだけの集中力があるのか?
という疑問です。
大人なら、目標を持ち、この運動をする意味を考えますし、その目標に向かっていけます。
そういう思いが本格的に出てくるのは高校の中盤あたりからなのではないかと思います。
以前も書いたと思いますが、怪我をする子ってだいたい中学校二年生、高校二年生あたりで怪我をして治らないということが意外に多いのです。
これは単に運動の問題だけではなく、運動に取り組む姿勢が変わる時だからではないかと思います。
小学校の時は、素質だけでかなりの運動ができました。しかし、中学、高校とあがっていくと、単純に素質だけでは運動が続かないことが多いのです。遺伝学で言うと、スポーツや音楽は遺伝的要素がかなり強いということが証明されています。スポーツで秀でる為には遺伝要素は、かなり強くなります。
しかし、遺伝要素が強かったが為にできなくなってしまうこともあるように思います。走ることが速かった同級生の大半はスポーツに長い間関わるということはなかったように思います。
走るのが速くて、勉強が出来るという子が大人になっても同じように秀でていかというのは疑問です。
しかし、子供の頃に素質があると周囲からは期待されます。その期待が大きいと逆に出来なくなってしまうのか、ある程度できるようになると本人が満足してしまうのか、理由はわかりませんが、できないかやらないということになるような気がします。これには周囲との関係が大きいような気がします。
素質とその子の持つ意思と意識の使い方を考え続けられるかどうかで開花できるかどうかが決まってくるように思います。そんな素質を持った選手がオリンピックに行く可能性が高くなるようです。
素質だけでも駄目、意思だけでも駄目です。
その為にも子供はルールを自由に変えられる遊びをもっともっとする必要があるのではないかと思っています。
ルールを作らないスポーツの真似事をさせるのが良いように思います。単純なルールだったり、子供達で考えさせるルールであったり大人が口を挟まないことが良いのではないかと思います。
運動が良いとか悪いと言っているのではありません。子供は画一化されたものをそんなに受け入れるようにはできていないはずなのに、大人の妄想に近い期待で子供にスポーツをさせるのはどうかと思うだけです。
それで怪我してしまうと、怪我だけですまないと思います。
一生の心の傷にならないようにして欲しいなと思っています。
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