スポーツの本質
人が生まれた時点で、他を蹴落として生き残ってきたのですから、本質的には、誰でも相手を蹴落とすことは得意なはずです。良い悪いの話ではありません。
生存本能です。
同じ戦いであっても、生存本能の戦いとスポーツの戦いには大きな違いがあります。
合気道の精神は、基本的に相手と戦わないことです。
戦わないけど、身に降り掛かってきた火の粉は振り払わなければなりません。
ある意味生存本能を発揮して相手を制圧するか無効にする為の術です。
だから、合気道に試合はありません。
私は合気道をやりませんが、武道をやっていたものにとって、これには、とても納得がいきます。
自分を殺そうと思ってかかってくる人と友達になってこそ合気道の精神だと故塩田剛三氏は言っていたそうです。
現実は、なかなかそういうふうにはできません。
やっぱり相手がかかってきたら、それ以上の強い武器を持ちたいと願うのが普通でしょう。
しかし、その向こう側になにかあると今では強く思います。
スポーツは意識を喜ばせることが最上級の喜びであり一種のゴールです。
そして、それが正義なのです。
生存本能とは本質的に違います。
スポーツをやっていても現役を引退すれば、そんなふうに考えなくても良いはずですが、必ず癖でやってしまいます。
その癖は簡単には変わりません。
生存本能は完璧な受動であり、スポーツは完璧な能動です。
受動は無意識であり、能動は意識です。
意識が勝つとご存知のとおり破壊が起こります。
生存本能はなければそもそも生きていけません。
どんな聖人であっても生きる為には生存本能が必要です。
それは戦っていない時でもそうなのだと思います。
それを知っているかどうかで全てのアプローチが変わってきます。
この話は、治療と無関係に思うかもわかりませんが、滅茶苦茶関係あります。
それに気づけて本当に良かったと今では思っています。
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