スポーツと無意識
意識が勝ることで喜ぶものの典型がスポーツです。
右投げのピッチャーは、右手の方が長くなることが多いそうです。
身体にとっては大変迷惑なことであっても、勝つ為には仕方のないことです。
意識は満足するかもわかりませんが、身体に負担がかかることは無視されます。
そして、勝てば、それが正義になります。
相手の嫌がるプレーをすることで勝利につなげるのがスポーツの特徴です。
ゲームですから必ずそうなります。
スポーツ選手は無意識に嫌がらせが得意な人とも言えます。
そして、その嫌がらせの結果が勝利につながり称賛を受けます。
意識は人の称賛が大好きです。
三度の飯より好きなのだと思います。
だから苦しいことも我慢できるのだと思います。
しかし、スポーツが悪いと言っているのではありません。
スポーツには、そういう要素があるという事実を知っているか知らないかで大きな違いがでてきます。
あくまでもゲームです。
健全な肉体には健全な精神が宿ると言いますが、スポーツ選手は真逆の精神が宿るという要素があるということです。
熱中しているとそれに気づけなくなってきます。
その要素に気づいてゲームができる人と、そうでない人には大きな違いがあります。
仕方なく肉体労働をして身体を酷使するのとは訳が違います。
テレビゲームとスポーツの本質に違いはありません。
それなのに、テレビゲームが悪くて、身体を動かすスポーツは良いと考えるのは単なる思い込みです。
本質は同じです。
逆にテレビゲームは相手がコンピューターなので、人を傷つけることはありませんからスポーツよりテレビゲームの方が精神的には健全かもわかりません。
そういう考えはあまり世間では受け入れられない考えだと思いますが本質を考えれば事実です。
しかし、純粋に頑張っている高校生を私はとても好意的に見ています。
怪我をしないようにして大人が気をつけてあげて欲しいと思ってます。
マラソンを長年やっている高齢者は足がパンパンになっている人が多くいます。
それでも走る。
なぜ走るのかは人それぞれだと思いますが、とにかく走る。
健康になろうと思ってはじめたマラソンも、
無意識が嫌がっている時があります。
しかし、意識が優先していて休むことすらできなくなってしまいます。
立ち止まって考えてみることはとても重要です。
身体の無意識の声を聞いてみてください。
心の余裕になってゲームを更に楽しめるようになると思います。
プロではなくあくまでも趣味なのですからね。
それさえ知っていればスポーツは身体の声を聞くことができるようになる素晴らしいものにもなります。
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