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わからないとは?

わからないのではなく、わからないという答えがわかったということです。


わからないはネガティブだと一般的には考えます。しかし、わからないことがわかったというのはポジティブです。

つまり裏を返せば善です。

わからない時、何がわからないのかを分析する楽しみが増えたと考えればネガティブではありません。

そもそも、ネガティブは駄目でポジティブが良いと思い込んでいること自体が勝者が正しいと言うスポーツの考えであり、学校教育の賜です。完全に支配されていると私は考えます。

わかろうとするのではなく、わからないということに意識を向け集中する。


すると、わからなかったことから様々なことがわかってくる。

私は、そういう思考で物事をわかろうとしてきました。

だから決定的に人と違うのかもわかりません。


わからないことは置いておいて、何がわかり何がわからないのかを分析し、一つ一つをつぶしていくという方法です。

わからないことはわかろうとするから苦しいのであって、わからないことを認めれば、今わかることから様々なことを推察すすることができます。

そして、わからないという意味が全く違ってきます。つまりわからないことがわかったと気づくのです。

これに気づかないと難しく複雑なものは絶対に習得できません。


人間の身体は、複雑系です。

ある意味法則があるようでない。

ないようであるのです。

そういう人間の身体を相手にする職業なので、これが正しいはありません。

同じ症状でも同じではない。似ているけど全く違う。

これを認識していることが、わからないことを自覚する第一歩です。


複雑系をわかったなんて言うのは、本質を見誤っています。

そして、どんな人も人間は死にます。

つまり最後は敗者なのです。

それが医療の本質です。


わかったということが良いと思うことは、わかったことによる弊害のことを知らない。

わからないことによる輝きを知らない。


なぜできないのかではなく、何が今、必要なのかがわかれば自然にできるようになる。

しかし、それを受け入れるかどうかは、その人の器量です。

受け入れられない人は一生わからない。

わからないという意味の深さを知っていないといつまでたってもわかったようなふりをするだけになってしまう。


わからないことを追求する。

それしかない。

わかったことは放っておいたらいい。

そんなことに興味はない。


わからないことに集中する。

するとわかったと思っていたことが実はわからなかったことなのだと実感する。

それが楽しい。


そして、それを自分の力で見つける。

人に教えられたものは、一生借り物

だからわからないことは、楽しみだと気づくのです。


自分で考え抜いて同じ結論に達したら同じことをわかっても全く違うものになる。

それが楽しいし、面白い。

バカバカしいと思えることも疑ってやってみると本当にバカバカしいことだったんだとわかる。

これって最高なんじゃないかと思う。


でもそれをやったやつとやってないやつでは大きな違いがある。


誰もやったことがないから、それを経験することで人生は豊かになる。

人生を豊かにすることと正しいことは比例しない。

勝者は正しいというスポーツ脳は、最後に敗者になるということを先送りしている。


何かができたから豊かになる訳ではない。

人生を豊かにすることは勝利に酔いしれることではない。

敗者にしかない気づきと喜びがあるとわかれば、どっちでも滅茶苦茶楽しいのです。


できてもできなくても遊びは楽しい。

そんな中に本質があるのです。





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