ふと気づくこと


何度も何度も考えて感じようとしても違いに気づかない時があります。しかし、ある時、ふと気づきます。


何かが降りてくるというしかありません。しかし、霊が降りてきて話しをするという訳ではありません。(笑)

今まで蓄積していたわからなかったこと、気づかなかったこと、それでいて疑問だったことを積み重ね続けると、ある日突然降りてきます。


そうなる為には疑問に対して絶対に安易な答えを他に求めない。

「気づき」というのはそうしていないと降りてきません。

それらしい本を読んで変に納得してしまうのは問題があります。

もちろん、何もかも疑えと言っている訳ではありません。



過去の記録を持ち出して説明をつけたとしても、今までのつなぎ合わせだけで、発展はしてないということです。

答えは今までの知識にはないので本を読んでも無駄です。意外にも頭の良い人程、それに気づかない人は多いようです。

しかし、世間的には過去の記憶を羅列できる人は賢いと評価されます。そしてうらやましがられます。だから知識をつけようとします。それは凄いことなので、私もそういう人はリスペクトします。

凄いなぁ~って思います。


ただ過去の記憶に囚われやすくなるのも事実です。なぜなら、記録というのは真実の一部しか書かれていないからです。

真実は「今」ここにしかありません。体験を含んだ今しかありません。記録は真実の一部でしかない。


養老先生の先生が、「本を読むな馬鹿になるぞ」という名言を言ったそうです。論文を書こうと思った時、他の人の論文を読んでしまうと、自分の論文が書けなくなるというジレンマに陥るそうです。なるほどなぁ~と思います。確かにそう思います。


脳って、空白が大事なんだと思います。知識が詰まりすぎていると空白ができないので新しい発想ができません。新しい発想が出来ないということは、今までの論文のつなぎ合わせでしかないということになる訳です。それはそれで立派なことなのかもわかりませんが、それでは目新しいものは何もありません。

新しい発想というのは混沌としています。だから今思っても、数時間後、そう思えるかどうかはわかりません。

これが本当に厄介です。



だから常に脳に空白を作っておかないと駄目みたいです。

だからあまり詰め込み過ぎないでジックリ煮込んだ方が面白い答えが返ってくるのだと思います。


ある時、お風呂に入っていて、母指でバスタブの壁面を押した時に気づいたことがありました。これは本当に大きな気づきでした。どんな気づきか、聞いただけでは誰もわからないと思います。

身体の構造から考えると理に適っているなぁ~と自分では思っていますし、その実感も十分あります。他の人に実験してみても同じ感覚を得られます。


ブログにも何度か書いたことがありますが、この気づきが立つことや歩行することに大きな影響を与えています。

でも、誰も、そんなことは言っていない。だから無視されます。(笑)


人が認めるかどうかなんてどうでもよく、足って凄いなぁ~と個人的に感動しています。更に発展しています。


脳の空白はもの凄く大事です。




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