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どんなことでも

昨日の根拠の話しですが、根拠があった方が近未来は予測できます。

そして根拠があった方が自信が持てます。

やることにブレがない。それは確かです。


とっても良いことのように思います。

ただ、世の中には予測がつかないものが一杯あります。

この方法で間違いないはずだと思ってやってみると症状が改善しない。


そういう時が多々あります。

根拠だけで問題を解決しようとしていると、根拠が乏しいと不安になります。

だから根拠を必死で探そうとします。


偶然、それに近い根拠を見つけます。

すると、それが絶対だと思い込んでしまいます。

論文を一生懸命探して、探して・・・。

根拠を見つけた~!!


こういう考え方もあるのか~!!

これで間違いない。

と思ったのもつかの間、やってみると結果が出ない。


なんじゃそれって思う訳です。

根拠は過去のものです。

自分で新しく見つけたものではありません。


だからそこに自分は存在していません。それが一番大きな違いです。

目的の論文を探すだけならAIがやればずっと効率が良い。それだけなら自分は存在していなくても良い訳です。そんな仕事をAIはやってくれるはずです。だからAIを脅威に感じる訳です。

AIじゃなくても手間はかかりますがデータベースで検索すれば見つかるでしょう。


根拠があって将来有望だと思って入った大企業が、今、雲行きが怪しくなってきたからといって方向転換した人がどれだけいるでしょうか?

昔の根拠を信じて、なかなか方向転換できない人がどれぐらいいるでしょうか?

かなりの人数じゃないかと思います。

根拠だけで道を決めようとすると、根拠に左右されてしまいます。株の上がり下がりと同じように見えてしまいます。


何の為に仕事しているのか?

誰の為に・・・?


そう考えた人はきっと転職したでしょう。しかし、それには勇気がいります。かなりショックは大きい。

家を建ててローンを払っているかもわかりません。子供が大学に行くかもわかりません。それを捨てて転職しなければならないのでがんじがらめです。なによりも、それでうまくいくとは限らない。

でも、結局は、リストラされるかもわかりません。

それでも大企業だからという理由で残る人もいるでしょう。

将来、もっと悲惨な目にあうかもわかりません。それは誰もわからない。よく考えたら何の保証もない。


根拠は歴史です。誰かが経験した何かです。歴史は、自分が体験していることではありません。昔の人が体験したことの記録です。決して今じゃない。

昔の人にとっては、その時、全く新しいことだったはずです。歴史を学んだからと言って今ある現実を変える能力はありません。余計に混乱することもある。


それが証拠に歴史をあれだけ学んだはずなのに人類は全く同じことをしようとしています。

今まさに、そんなことが起こっているのでは?

それに気づかないとヤバイです。


根拠を追い求めすぎると修正の効かないものになってしまうことが多々ある訳です。根拠はあって良いですが、根拠まみれになると修正が効かなくなる。そしてそこには自分という主体は存在しなくなります。これが一番の問題です。

そして過去を生きるということになる訳です。


今、何をしたいのか?

今、どうありたいのか?

それを問い続けることが根拠のない自信につながるかもわかりません。

もちろん、確証は一切ありません。





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