こういうことが証明されるって?
いつも思うのですが、無意識で自然にやっていることを観察すると、色んなものが見えてきます。
上記のリンクは、痛みと動きは関係があるという研究なのだと思いますが、無意識のうちに痛みがあると転げ回ったりします。
しかし、どう動かせば良いのか?
ただ動かすのと特定の動きをするのでは精神的にも違いがあるように思います。
痛い時に身体を伸ばすより縮めた方が良いように思います。
というか自然にそうなります。
子供の時に外で遊んでいると、どこかでぶつけたりして痛い思いをすることが多かったと思いますが、なぜ「痛い」という言葉を言うのだろう?
と疑問に思った私は、どんな状態になっても「痛い」という言葉を使わないというのをやってみたことがあります。
そんなことを考える子供も珍しいかもわかりませんが、「痛い」という言葉を使った時と、使わなかった時では痛みの長さが違うのではないかと思いました。
そして冷静でいられるよにも思いました。
特に痛みが治まってきた後半の長さが違うように感じました。
つまり痛みがある時間が短いような気がします。
とは言っても痛いものは痛いので「痛い~~」と言った方が最初の痛みは紛れるような気もします。
言葉を発するというのも運動の一つです。
言葉をどう使うかによっても痛みの状態が変化するのではないかと思います。
痛いという言葉を使うと感情的になって余計に痛みの時間が増すのではないかと思います。
しかし、最初の痛みのピークは「痛い」と口に出した方がよく、後半は言わない方が良いようにも思います。
痛みが動きと連動しているということは、動きと感情も連動していて、そこから余計な痛みが長くなるとしたら言葉の使い方でも感じ方が変化する可能性はあるようにも思います。
結論としては「痛い」と言った方が紛れるようにも思ったので、大げさに痛いと言うようにしました。
子供の時ですから、我慢するのもめんどくさいなとも思ったのだと思います。
言葉一つでも違いがあるのではないかと思います。
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