ある意味、ちょっと危険な考え方になりますが、確かにそういうパターンは存在します。
ただ、それをパターン化してしまうと記憶され、感情を作るので制御が鈍ってしまいます。その結果、正しく判断できないという時が必ずきます。
重要なことは、パターン化しないというのが基本です。
一応、そういうパターンもあるかなぁーぐらいに思っていた方がいいですね。
なぜなら、その奥に隠されたものがあるからです。
やり方の記憶は、診断を必ず狂わせてしまいます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
大阪支部の政木です。
前回の続きです。(前回のリンクはこちらから)
症状を作っている原因を具体的に辿ってみます。
例えば、左膝の痛む人。
主訴は膝の内側の痛みの患者さんが来られたとします。
足の裏を触ってみてください。
足底は左のほうが扁平足ではないですか?
足指は右に対して左伸展しにくくないでしょうか?
ふくらはぎ内側は、左のほうが固く圧痛は無いですか?
内側ハムストをつまむと左は固く、痛がりませんか?
腰方形筋、殿筋群はどうでしょうか。
圧痛に左右差があると思います。
側胸部はどうでしょうか?
左の前鋸筋や肋間筋に圧痛がありませんか?
左の肩上部、頸部は右に対して緊張していませんか?
筋肉だけを辿っても、これだけの部位に顕著な左右差、
隠れた圧痛があることが多いです。
もちろん患者さんはこれらは気付いてないことがほとんどです。
患者さんは左膝だけが痛く、そこが悪いと認識しています。
しかしその関連する原因は、広範囲に多数見られます。
そういった
多数の異常の代表点。
患者さんの最も感受性の高い部位。
色々な不均衡のしわ寄せがもっとも表れている部位。
それがたまたま膝であり、一般的には変形性膝関節症と言われている。
こういった病気の実態が自ずと見えてきます。
その足がかりになるのが日々の触診であり、筋力検査になります。
こういったストーリが見えてくると、何にも代えがたい自信が付いてきます。
そういった臨床がより一層出来るように、毎日を過ごしていきたいと思っています。
基本の診断のセミナー

- Masamitsu Motohashi

- Jun 5, 2023
東京支部長の本橋です。
前回のブログは2回にわたり私の学び方を書かせていただきました。
真似をして遊ぶ感覚で学ぶことが出来れば無双状態。
でも、そんな状態は長く続きません。
気持ちが高揚すれば落ち込むこともあります。
スポーツでもよくありますが、調子の良いときは長く続きません。
それは物事は常に動いている、流れていることを考えれば当たり前ですが、世の中には常に調子が良い状態を求める人がいます。
そういう人がお客さんにいらっしゃるとちょっと苦労しますが、良いことは長く続かないという無常の原理を認識しておくと調子の波を穏やかにすることが出来ます。
東洋思想で言えば、陰にも陽にも傾き過ぎないことがコンディションを良好に保つコツと心得ています。
つまり中庸を目指すわけですが、私の考える中庸は真ん中ではありません。
全てにおいて時間が流れ状況は変化しますから、「今」の中庸付近を目指します。
いつも同じ状態にしようとすると、同じにならないことにストレスを感じますから、「今」の中庸は同じ人でも日によって違うし、他者と同じであるわけがありません。
これは心持ちについてです。
コンディションが良くないと日々の学びも停滞します。
そして、学ぶ姿勢という点では昔からやっていることがあります。
「自分はわかっていない」状態で学びます。
成長を妨げるものは「わかっているつもり」です。
特にセミナーなどで教わる時は、知っていることになると意識が薄らぐ人がいます。
私も20年くらいセミナーの講師をやっているので、今や受講者の目や動作、雰囲気を見ればだいたいどのように感じているか、捉えているかがわかります。
よくわかっていないのにわかっているようにしている。
わかっていると思っているからきちんと聞いていない。
そんなこと知っているという注意散漫。
このようなことを感じているので、自分では注意しようと考えてセミナーを受講するようにしています。
もっとも昔からセミナーショッピングをするようなことはなく、これだ!と感じたセミナーにしか申し込みはしません。
実際に自分が分からないという姿勢でセミナーに臨んだり、他者に説明してもらうと、話す人は得意になって色んなことを教えてくれます。
たくさん引き出せた方が得ですからね。
松下幸之助さんは、小学校4年生の時に丁稚奉公で単身大阪に出て行きました。
青年になっても自分では学がなく分からないから「教えてください」とよく尋ねたそうです。
「素直である」ことと、人の話に耳を傾ける人間的資質、人間としての姿勢自体に注目したいところです。
自分は知っていると思った瞬間、耳に入ってくる情報は薄れます。
だから私は松下さんのように自分が知らないことは『素直に教わる姿勢』を持つことを大切にしています。
変なプライドを持つより、その方が結局自分自身を高めることが出来ると考えています。
素直に教わる?楽しく遊ぶ?勉強会はここにしかない。
中村先生の大阪勉強会は6月11日(日)開催!
東京勉強会は7月23日(日)開催!
- Shyuichi Nakamura

- Jun 4, 2023
わからないなりに情報を整理していくとわからないなりにパターンが見えてきます。
しかし、この時にわかろうとしたり、わかったと思った瞬間にわからなくなります。
わかったというのは、
このパターンでいいんだ!!
と考えた瞬間です。
この時、既に情報は古くなっています。
常に情報は流れているのです。
一瞬で変化します。
それを捉えるのは並大抵の話ではありません。
常に自分も変化していなくてはなりません。
決まったことなんて何もないのです。
そういう世界に自分自身が常に身をおいていなければなりません。そのことを言うと反発する人が必ずでてきます。
怒ってくる人もいます。
それではどうすることもできないじゃないか・・・
確かに、それもわかります。
私達は、三次元の世界で生きていますが、それと同時に時は流れて行くので、常に変化しています。
これを忘れてしまうと、それは現実世界ではなくなります。三次元の世界だけしか見てない訳です。
虫の種類は現在100万種類ぐらいわかっているそうです。
しかし、この地球上には、わかっていない虫が、1億種類ぐらい、いるのではないかという説と3000万種類ぐらいじゃないかという説、300万種類ぐらいじゃないかという説があるみたいです。
なんとまぁ~予測ですらこれだけの開きがある訳です。全然わかっていないのです。
3000万種類と予測した説は、アマゾンの一本の木に生息している虫がどれぐらいいるかを統計的に調べた結果だそうです。
世論調査みたいな方法ですが、それで答えがわかったみたいに考えている人がいる訳です。
常識的に考える人は300万種類ぐらいじゃないかと言っているそうです。
しかし、どっちにしても結局わかってないのです。
わかったとかわかるというのがいかに曖昧かがわかります。
そんなことより、わからないことをわかった方が余程自然です。
つまり、受け入れるということです。
わからないということをわかろうとしない。
それは現実をみていないということです。
現実は、わからないが答えです。
事実を追求すればする程、わからないと言う答えにたどり着いてしまいます。
しかし、表面的な答えを求める初心者は、安易な答えで満足してしまう。それは、プロではありません。
少なくとも真実を伝えてはいません。
何があるかわからないから面白いのです。
理由なんて存在しないのに、そこに答えがあるのです。それが感じるという答えです。
そうしていると答えらしきものが見えてきます。答えと言うより、できることが増えてきます。
このチャレンジは、ずっと続きます。多分、一生続きます。
それは可能性に満ち溢れた世界です。
なぜ、安易にわかったとか、わかるとか言って安易な安心を求めるのか不思議でたまりません。
大事なことはわからないことがわかるということです。
それが力を抜くということです。



















