- Shyuichi Nakamura

- Jun 12, 2023
Updated: Jun 13, 2023
濵井先生が昨日の大阪セミナーの感想を書いてくれました。
いつも辛口の評価をしてくれる濵井先生ですが、今回は嬉しい評価です。
伝わらないものを伝えようとするのは簡単なことではありません。
しかし、これが伝わらないと何もはじまりません。
革命は起こります。
既存の既成概念を飛び越えるセミナーであり唯一無二だと思っています。
もちろん、簡単には受け入れられませんし、反発も大いにあります。
反発は常に歓迎しています。そんなことは覚悟の上です。
でも誰かが、口火を切って、この既成概念を打ち破らないと何も発展しません。
たとえ今は少数であっても、革命は火がつけば爆発します。
参加者は、それを目の当たりにしています。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
昨日の大阪セミナーは90%の雨予報でしたが、何故か途中から日差しが差してきて、
まるでお天気まで応援してくれているような、そんな爽やかさを感じるセミナーでした。
身内がこうしてセミナーの感想などを書くというのは、ちょっと眉唾じゃないのと思われるかも知れないのですが、でも、どうしても書きたくなったので、ちょっとお邪魔してみたいと思います。
「気の診断」というと、それこそまだまだ胡散臭さ満載の気もするのですが、東洋医学と言うか鍼灸はこのマジで胡散臭い「気」があってこその、これこそを主体にしている医学であるということを、私自身も再確認できたセミナーでした。
更にいうならば、見えない気が通るという経絡を前提にしている治療家なのに、その根本を忘れていたことにも気づかせてくれました。
見えないけど確実に存在する「気」。
特に日本人は先天の気も後天の気も充実していますかという意味で「お元気ですか?」なんて普段の会話にも多種多様に使っているのに、どの民族よりも気を使いこなしているのに、いざ医療となると、自信を失くしてしまっているのです。
ですが、これこそが、今の最先端科学をも越える、AIすらもまだまだ及ばない最高の治療なのだということを、昨日はもう一度再確認したセミナーだったのです。
中村先生は、それを「意識」だと定義づけました。その「意識」とは当に字の如く、「意」は日を心に立てると書いてあります。
つまり、発心です。思うということ。その思いを「識」は「言」という言葉という音で成ると書いてあります。
つまり、日本語の漢字でも書かれている様に、何を思う、言葉で何を瞬時に自分が診断しようとすることに、的確な、そして単純明快な言葉を作るかということに尽きるのです。
ここがとても大事なのです。
単純明快な言葉なのです。
その言葉こそが、自他ともに共感という振動を作り、術者のみならず患者さんも同様に感じる治療でもあるのです。目的をはっきりさせるに尽きるのですね。
もう一度、感じて確信していくのです。
ですが、
無意識が作る溢れんばかりの言葉に、実は私たちは四六時中振り回されているのです。
それでも、診断という時には、この無意識から出てくる言葉(迷い)を無くして、純粋思考、つまりは、何を目的に観ようとしているか、それをクリアーにすると、見える世界があるのだと、そしてそれは誰しもが五感ではっきりと捉えられるのだと、昨日の中村先生の講義はそれをまるで「手取り足取り」という雰囲気で教えてくれていました。
そしてそれこそが「アホになる方法の極意」でもあるわけです。
私たち鍼灸師は特に「師」がつく職業です。
「師」とは特殊な技術を持った専門職を表します。技を見せる、つまり「術」を如何に掛けられるか・・その術の掛け方に既成概念や膨大な知識をいったん置いて、人間の本来備わっている叡智と五感を駆使してもっとシンプルに、もっと的確に、もっと具体的に激変させる方法があると提示しているのです。
それは、2000年あるいは3000年の歴史があると言われてきた東洋医学のある意味革命でもあるのだと私は自負しているのです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
- Shyuichi Nakamura

- Jun 11, 2023
長距離のランナーに多い症状ですが、走っている時は違和感ですが、走った後に痛みがでてくるような症状です。
普段も臀部の痛みがあって立ち座りも気になる。
というような症状の方もあると思います。
こういう場合もほんとにケースバイケースです。
観察してみると大腿部の後側はパンパン。
しかし、肩の動きからも起こる異常なので、大腿部だけを刺激しても何の意味もありません。
肩甲胸郭関節の動きは患側で内転下制が異常になっていることが多いのですが、それだけの要素だけでもありません。
あくまでも、そのパターンで異常が多いというだけで、それは治療の目標とは違います。
この動きに伴って、胸椎3番や、頸椎7番の患側の回旋運動は悪くなっています。
これも当たり前と言えば当たり前の話です。
足をあげる為には、肩甲骨が後方に動かなければならないからです。
それぐらいのパターン認識は、いわゆる筋肉系のアナトミートレインのような考え方でも普通にわかるでしょう。
特にレースの直前になると、更にそれが顕著になり、痛みが増幅されたりします。
これは痛みを記憶してしまっているので、レース前には無意識に緊張して思ったように動けなくなります。
運動選手の障害は、常にこういうことの戦いです。
トレーナーや運動選手を扱う術者は、絶対に注意しなければなりません。
そうなると一般的なマッサージや鍼治療では殆ど結果を出せないのが普通です。
関連系で言えば、手首や足首の影響もあると思います。
これを刺激してもある程度、楽にはなりますが、それだけでもよくなりません。
これは記憶を操作しないと良くならないのですが、その前に鼻や咽の炎症があることが殆どです。
鼻は感情ととても関係があり、感情は記憶と密接に連携しています。
また、この記憶は、物理的なものばかりではありません。
環境や感情とも関係しています。
要素は常に複数あるのです。要素を決めきることはできません。
つまりパターンはなく、完全なケースバイケースです。
パターンがないのにパターン化するからおかしくなります。
その要素を捉える為には、筋力検査や触診は絶対に必要です。小さくゆっくり綺麗に動かす動きも、とても大事です。
こういう基礎がしっかりわかってこそ応用ができるようになります。
しかし、やっていることは簡単です。
簡単だから、わかったと思い込んでしまいます。
この感覚を研ぎ澄ます為には自分の意識に注意しないとできません。
つながりだけでよくなると考えていると、つながりを意識しすぎて、他の要素を捉えることができなくなってしまいます。
これは術者が知らず知らずのうちにはまっていく思考です。
パターン化が良くない理由は、こういうことです。
頭で論理的な思考をしすぎるとこういう罠にはまります。
再度、基本的な触診や筋力検査を訓練し、様々な要素を見つけ出すことが必要になってきます。
どこまでいっても決まったものはありません。
決まったものがないことを認める必要があるのに、決まったことが大事だと考えるのは、自分本位になって、その人を見ていないことになります。
- Shyuichi Nakamura

- Jun 10, 2023
今、起こっていることを認知する。
認知に感情は必要ありません。
しかし、その認知で感情は動きます。
何かを感じて認知するというのは、当たり前すぎるぐらい当たり前のことなので、それに気づくことすらありません。
痛いことを認知する。
痒いことを認知する。
そして認知は記憶されます。
この記憶が、とてもやっかいです。
痛いことを記憶してしまうと、僅かな動きで記憶が蘇り感情が起こります。
この感情のおかげで認知が不正確になる。
ただ痛いだけから強く痛くなったりする訳です。
この話を聞いた時も自分とは無関係と思っている人も多いと思いますが、記憶は、その人の繰り返しの行動を作ってしまいます。
つまり痛みに対する反射行動は同じになってしまうということです。
この現象は本当に不思議で、身体の診察をしている時に常にこのことと向き合うことになります。
何十年もの間、自分の中にある認知と常に戦ってきた気がします。
でも戦って勝てる相手ではないことを認知し、記憶すると感情が抑えられます。
不思議なことですが、本当にそうなります。
これを認知、記憶すると感情が大きく動かずに感じることが上手くなっていきます。
本当に不思議なことが起こります。
自分自身が、まだまだこれからだと思っています。
本当に面白い世界を知るのはこれからだと思っています。
このことを伝えに明日は大阪です。
これがわかれば全てに通じます。
伝わることは期待していませんが、伝わってほしいという情熱は伝わります。
それを伝えるだけで人は変化します。
頭で理解することは一ミリもありません。



















