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5年前から何もしなくても腰の痛みが続いていると言う方が来られました。

右側が中心ですが、問題は左側です。


左と言っても腰ではありません。左の側頸部から頭部です。

当然ですが整形外科や接骨院等に行って腰にアプローチをしても良くはなりません。

睡眠も不足しているので、神経にも影響があるのは明白です。それに対する投薬もしています。


西洋医学的には、精神的なものとして処理されるのだろうと思いますが、問題はそんなところにはないようです。


座ったまま身体を横に倒してもらうと右はやりやすく、左は抵抗感があります。

目視だけで動きの異常はわかります。

回旋も左回旋がやりにくく、右回旋はやりやすいと言います。


これだけでも左の異常だとわかりますが、自覚症状は右です。

左の側頭部から側頸部にかけて手を置いてもらうと、左側屈、左回旋、左股関節屈曲も全て良くなりました。

つまり上位の頸椎から側頭部にかけての問題があるということです。


ここで注目したいのは、延髄です。

延髄は、呼吸と関係し、咳やクシャミ、発声も司ります。また心臓や血管運動の中枢であったり消化器系統にも影響します。

左側の延髄の反応があることで血管の運動にも影響しているようです。心肺機能に何らかの問題があるということを意味しているのではないかと思いました。


話しを飛躍させると血管運動中枢なので、血管の異常を診ていくと、左背中から左手、脇、胸にまで影響が及んでいました。

これが腰の痛みと関係がありそうです。

延髄や橋に慢性的な炎症反応があることで、血管の運動が落ち、背中から腕の緊張(厳密には弛緩)が起こり、その為に右側に身体が引っぱられ、回旋能力も左側が落ちることによって、右の腰に影響が起こったと考えると辻褄が合います。


筋肉を筋肉単位で考える人には、こういう発想はないかもわかりませんが、一つの筋肉の中でも上と下、右左、前後がある訳です。それを一つの単位として覚えるので、筋肉という単位で物事を判断してしまいます。また筋肉は複数交差しているので、深層と浅層では違いがあります。それを筋肉という一つの単位で物事を考えるから実体が見えてこないということです。


顔面部にも影響する三叉神経や顔面神経の核も橋を通りますから、その情報を上位の脳にも伝えます。ところがこのあたりが異常を起こすことで、その上部の神経にも影響を与えます。その影響は視床下部あたりにも出て睡眠障害も出ている可能性もあるので、この症状も理解できます。


右尺沢、左魚際、左期門、右大衝、あとは、右委中でも緩解するようです。

漢方薬では荊芥連翹湯、四君子湯、苓姜朮甘湯が適応になっていました。

どちらでも緩解するはずですが、問題は左の上位頸椎から延髄、橋の異常があると言う事実を認識していることです。


穴は一定の条件で作用します。単に鍼を刺せば効果が出る訳ではありません。それが証拠に、この構造を認識していない人が刺鍼しても効果はありません。これが東洋医学の醍醐味と言えます。

ベテランと初心者には、この大きな違いがあります。あくまでも脳への刺激です。物理刺激ではありません。

物理刺激で良い場合は、これらの問題反応がなくなってからです。


本人も最終的には、左の異常だと気づいたみたいです。あれほど右側の痛みがあったのに、異常がなくなると、左側に痛みがうつってきたことを確認しました。

そして全体的に薄れていったのも確認しました。長年の痛みですから、痛いのが当たり前になっているので、この感覚を脳がなかなか手放せないことが多いので、また痛みは戻ってくるのは確実でしょう。

しかし、楽な状態を記憶させるようにしていると慢性的な痛みは緩解してきます。


私達は、それを補助することが仕事です。











何度も何度も考えて感じようとしても違いに気づかない時があります。しかし、ある時、ふと気づきます。


何かが降りてくるというしかありません。しかし、霊が降りてきて話しをするという訳ではありません。(笑)

今まで蓄積していたわからなかったこと、気づかなかったこと、それでいて疑問だったことを積み重ね続けると、ある日突然降りてきます。


そうなる為には疑問に対して絶対に安易な答えを他に求めない。

「気づき」というのはそうしていないと降りてきません。

それらしい本を読んで変に納得してしまうのは問題があります。

もちろん、何もかも疑えと言っている訳ではありません。



過去の記録を持ち出して説明をつけたとしても、今までのつなぎ合わせだけで、発展はしてないということです。

答えは今までの知識にはないので本を読んでも無駄です。意外にも頭の良い人程、それに気づかない人は多いようです。

しかし、世間的には過去の記憶を羅列できる人は賢いと評価されます。そしてうらやましがられます。だから知識をつけようとします。それは凄いことなので、私もそういう人はリスペクトします。

凄いなぁ~って思います。


ただ過去の記憶に囚われやすくなるのも事実です。なぜなら、記録というのは真実の一部しか書かれていないからです。

真実は「今」ここにしかありません。体験を含んだ今しかありません。記録は真実の一部でしかない。


養老先生の先生が、「本を読むな馬鹿になるぞ」という名言を言ったそうです。論文を書こうと思った時、他の人の論文を読んでしまうと、自分の論文が書けなくなるというジレンマに陥るそうです。なるほどなぁ~と思います。確かにそう思います。


脳って、空白が大事なんだと思います。知識が詰まりすぎていると空白ができないので新しい発想ができません。新しい発想が出来ないということは、今までの論文のつなぎ合わせでしかないということになる訳です。それはそれで立派なことなのかもわかりませんが、それでは目新しいものは何もありません。

新しい発想というのは混沌としています。だから今思っても、数時間後、そう思えるかどうかはわかりません。

これが本当に厄介です。



だから常に脳に空白を作っておかないと駄目みたいです。

だからあまり詰め込み過ぎないでジックリ煮込んだ方が面白い答えが返ってくるのだと思います。


ある時、お風呂に入っていて、母指でバスタブの壁面を押した時に気づいたことがありました。これは本当に大きな気づきでした。どんな気づきか、聞いただけでは誰もわからないと思います。

身体の構造から考えると理に適っているなぁ~と自分では思っていますし、その実感も十分あります。他の人に実験してみても同じ感覚を得られます。


ブログにも何度か書いたことがありますが、この気づきが立つことや歩行することに大きな影響を与えています。

でも、誰も、そんなことは言っていない。だから無視されます。(笑)


人が認めるかどうかなんてどうでもよく、足って凄いなぁ~と個人的に感動しています。更に発展しています。


脳の空白はもの凄く大事です。




昨日の根拠の話しですが、根拠があった方が近未来は予測できます。

そして根拠があった方が自信が持てます。

やることにブレがない。それは確かです。


とっても良いことのように思います。

ただ、世の中には予測がつかないものが一杯あります。

この方法で間違いないはずだと思ってやってみると症状が改善しない。


そういう時が多々あります。

根拠だけで問題を解決しようとしていると、根拠が乏しいと不安になります。

だから根拠を必死で探そうとします。


偶然、それに近い根拠を見つけます。

すると、それが絶対だと思い込んでしまいます。

論文を一生懸命探して、探して・・・。

根拠を見つけた~!!


こういう考え方もあるのか~!!

これで間違いない。

と思ったのもつかの間、やってみると結果が出ない。


なんじゃそれって思う訳です。

根拠は過去のものです。

自分で新しく見つけたものではありません。


だからそこに自分は存在していません。それが一番大きな違いです。

目的の論文を探すだけならAIがやればずっと効率が良い。それだけなら自分は存在していなくても良い訳です。そんな仕事をAIはやってくれるはずです。だからAIを脅威に感じる訳です。

AIじゃなくても手間はかかりますがデータベースで検索すれば見つかるでしょう。


根拠があって将来有望だと思って入った大企業が、今、雲行きが怪しくなってきたからといって方向転換した人がどれだけいるでしょうか?

昔の根拠を信じて、なかなか方向転換できない人がどれぐらいいるでしょうか?

かなりの人数じゃないかと思います。

根拠だけで道を決めようとすると、根拠に左右されてしまいます。株の上がり下がりと同じように見えてしまいます。


何の為に仕事しているのか?

誰の為に・・・?


そう考えた人はきっと転職したでしょう。しかし、それには勇気がいります。かなりショックは大きい。

家を建ててローンを払っているかもわかりません。子供が大学に行くかもわかりません。それを捨てて転職しなければならないのでがんじがらめです。なによりも、それでうまくいくとは限らない。

でも、結局は、リストラされるかもわかりません。

それでも大企業だからという理由で残る人もいるでしょう。

将来、もっと悲惨な目にあうかもわかりません。それは誰もわからない。よく考えたら何の保証もない。


根拠は歴史です。誰かが経験した何かです。歴史は、自分が体験していることではありません。昔の人が体験したことの記録です。決して今じゃない。

昔の人にとっては、その時、全く新しいことだったはずです。歴史を学んだからと言って今ある現実を変える能力はありません。余計に混乱することもある。


それが証拠に歴史をあれだけ学んだはずなのに人類は全く同じことをしようとしています。

今まさに、そんなことが起こっているのでは?

それに気づかないとヤバイです。


根拠を追い求めすぎると修正の効かないものになってしまうことが多々ある訳です。根拠はあって良いですが、根拠まみれになると修正が効かなくなる。そしてそこには自分という主体は存在しなくなります。これが一番の問題です。

そして過去を生きるということになる訳です。


今、何をしたいのか?

今、どうありたいのか?

それを問い続けることが根拠のない自信につながるかもわかりません。

もちろん、確証は一切ありません。





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